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【高校野球】それぞれの夏・・・手術を経て“成長”した左腕・山田叶夢

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第100回全国高校野球選手権記念大会が5日に開幕する。新潟代表として2年ぶり11回目の聖地出場となる中越は、大会初日の第3試合で北神奈川の強豪・慶応と対戦する。中越の本田仁哉監督は2年4か月前、入学したばかりの右腕・山本雅樹、そして左腕の山田叶夢(とむ)の2人の投手と、集まった選手たちを見て、「この2人で、このメンバーで、甲子園で勝てるチームを作る」と胸を躍らせたという。ところが左腕の山田は今春、左ひじの痛みから手術を余儀なくされた。今夏の新潟大会で実戦復帰した山田だったが、準々決勝で打者3人に投げ1失点で1死も取れずに降板した。しかし、本田監督、そしてチームメイトはこの山田の投球を見て、「これで戦える」と自信を持ったという。山田自身、「ケガをしたことで成長できた」と前を見据える。甲子園という大舞台での復活へ、山田は全力で腕を振る。

左ひじの手術から復活を期す中越・山田叶夢

「この間、140キロが出ました」

そう言って、山田が笑顔を見せたのはことし3月24日のことだった。一冬を越え、下半身に分厚さを増していた。「夏にはとんでもないボールを放るようになる」…そう思わせるに十分な体つきだった。

ところが、その僅か10日後、山田は新潟市の病院のベッドにいた。

「左ひじ柱頭部の疲労骨折」

全身麻酔の上、左ひじの頭の側面四か所から内視鏡を入れ、骨片を除去した。1時間半に及ぶ手術で、山田は麻酔から目が覚めるまで4時間眠っていた。

「中学時代からひじが痛むことがあって、高校入学後は痛くなかったのですが、去年の秋の県大会が終わる頃からまた痛み始めました。北信越大会も、冬の練習も、騙し騙しやっていたのですが、3月に入ってまた我慢ができないくらい痛み始めた。我慢して夏まで投げても、いずれ手術をしなければならない…それならば手術をして、夏に間に合わせたいと決断しました」

手術痕を見せる山田 よく見なければわからないほど痕は小さい

術後は「ひじの曲げ伸ばしができるようになるまで時間がかかった。本当に投げられるようになるのかと不安があった」と話す山田だが、その後の回復は早く、予定よりも「1週間から10日ほど早い」という5月半ばには短い距離でのキャッチボールができるようになった。

その頃、チームは春季県大会を戦っていた。

2年生ながら昨夏は決勝で好投を見せ、昨秋も投手陣の柱として活躍した山田。その核となる左腕の戦線離脱というアクシデントに直面したチーム。エース番号の「1」を背負った山本雅樹が連日力投を見せたが、準々決勝で左足の肉離れを発症。準決勝で敗れ、北信越大会出場を逃した。スタンドからその様子を見守っていた山田の胸には、初めて感じる思いが去来していた。

「1年生の秋からずっとベンチ入りして、試合で投げ続けてきました。自分自身、試合に出ながら、いつも試合に出ていないメンバーに感謝の気持ちを持っていたつもりでした。でも、いざ自分がケガをしてしまい、ベンチメンバーを『補助』する側の立場に回ってみてると、人のために動くことの大変さ、気持ちをくみ取ることの大切さ…そういうことに気づかされました。自分自身は感謝の気持ちをしっかり仲間に伝えることができていたのか…改めて気持ちを込めて『ありがとう』を伝えなければと思いました。試合に出られることは当たり前なことではない。ケガをしてそういうことに気づきました」

そして、山田ははっきりとこう続けた。

「ケガをしたことで自分自身、成長できました」


チームの副将である山田 投手陣をまとめ、小鷹葵主将を支える

山田は6月に実戦復帰。6月17日の練習試合では埼玉県のチームを相手に3回を投げ無失点と好投を見せた。

夏の新潟大会では準々決勝で初登板・初先発。1回裏、四球、死球、レフト線への適時二塁打で1点を失い、打者3人、僅か16球で降板した。結果だけ見れば、山田は投手として結果を残すことができなかった。ただ打撃では本塁打を放つなど4安打4打点の大当たり。そして試合後の山田は投球についても、前向きだった。

「思ったよりも緊張をしなかった…それが悪かった。気持ちがベストでない状態で試合に入ってしまった。きょうは試合への入り方をつかむことができた。ボールの感じは悪くなかった」

決勝戦では攻撃の合間にブルペンで投げ込み、登板を待った。試合は山本が完投し、山田の登板はなかったが、ブルペンでは力のあるボール、そしてキレのある変化球を投げ込んでいた。甲子園出場を決めた後、山田は「結局、夏も山本に任せてしまうことになってしまいました」と苦笑いを見せ、山本への感謝の言葉を述べた。

優勝メダルを手に笑顔を見せる山田

本田監督は言う。「この大会は、山田が実戦で投げたという事実が大きい。打撃で貢献してくれたが、山田がマウンドに戻ってきたということは、山本にとってもチーム全体にとっても、大きな安心感を与えてくれました」。小鷹主将も「アウトこそ取れなかったが、山田は気持ちの強い選手。山本と山田と、2人が投げるとチームに安心感がある。甲子園で勝つには2人が必要」と話す。

長岡での練習最終日となった7月29日。山田は実戦形式でマウンドに立ち、打者から空振り三振を奪うなど力強い球を投げた。調子は徐々に上がっているという印象を与えた。

「以前は打席に打者が立つと投げづらいという気持ちがありましたが、きょうは感覚がよかった。いつでも試合で投げられるよう、野手からもマウンドへ行けるように調整もしたい。山本を助けられるような投球、持ち味である直球で空振りを取れる投球をしたい。これまでチームのみんなから助けてもらってきたので、甲子園ではチームを救うことができる投球をしたいと思っています」

実戦練習で打者を相手に投げ込む山田 調子は上がっている

夢が叶う、と書いて、叶夢(とむ)と読む名前は両親が名づけてくれたという。

「珍しい名前で自分では気に入っています」

そして、こう言った。

「甲子園で勝つことが『夢』です。ケガをして、手術をして、両親にもチームにも迷惑をかけました。その分、両親、そしてチームのみんなに甲子園で恩返ししたいんです」

ケガを乗り越え、成長を遂げた左腕が、聖地のマウンドで復活の投球を見せようとしている。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


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