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【BCL】さらば新潟…②木原田崇俊投手「ケガで成長。新潟でよかった」

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ルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCに3年前、ドラフト4球団競合の末に入団したのが木原田崇俊投手(25)だった。鹿児島県出身の木原田は大学4年時に受験したBCリーグトライアウトで140キロ超の直球とキレのあるスライダーを投げ込み、将来性を見込まれ新潟入りし、NPB(日本野球機構)を目指した。しかし、度重なるケガで思うような投球をできないまま、3年目を終えた今季終了後、現役引退を決めた。「期待されて入団したが結果が出ず、正直悔しい」と振り返りながらも、「ケガのおかげで人間的に成長できた。新潟に来てよかった」と前を向いた。

「やり切った」と木原田崇俊 度重なるケガに泣くも「人間的に成長できた」と話す

「自分の中ではやり切りました。新潟に来て3年…1つ1つ振り返るとしんどいことばかりでしたが、そのおかげで人間的に成長できました」

シーズン終了後、3年間の新潟での選手生活を振り返り、スッキリした表情で木原田が答えた。

名門の鹿児島実業高校、そして福岡・日本経済大学の硬式野球部を経て、BCリーグトライアウトを受験したのは大学4年生の2017年秋だった。「何とか野球を続けたいと考えた」という木原田。140キロ超の直球を投げ込む木原田の将来性を見込み、BCリーグドラフト会議では4球団が競合。当たりクジを引いた新潟への入団が決まった。2018年春、期待されての入団…だったはずが、いきなり試練が襲った。

「新潟に来て、最初に登板したオープン戦は自分らしさを見せられましたが、開幕2戦目のブルペンで右肩から『パチン』『ゴリゴリ』という音がした。右肩の関節唇を痛めてしまいました。高校からケガが多かったのですが、肩は初めてでした」

いきなり戦線離脱を余儀なくされ、1年目はリハビリに多くの時間を費やした。2年目の昨季は奇跡的に投球ができるまで回復したものの、「もともとあった自分の感覚と、ケガをしてからの感覚のギャップがあって、前期はそのギャップに悩まされた」という。25試合に登板したが、勝ち負けなし、防御率3・80の成績だった。


140キロ超の直球が武器 右肩のケガから復活したかにみえたが…

木原田は中学3年時に130キロ台を投げ、将来を期待された。だが、鹿児島実業高校ではひじのケガで目標にしていた甲子園出場は叶わなかった。

「中学まではセンスでプレーしていました。正直、野球でうまくいかないことがなかった、というくらい。しかし高校で右ひじをケガしてしまい、そのおかげで試合に出られない選手の気持ちが初めてわかりました。新潟に来て、またケガをしてしまい、試合に出ることができない期間が長く続きましたが、ケガをしたおかげでできた人の縁もありました。そういう人たちに助けてもらいました」

新潟に来て2年目の秋、NPBドラフト会議で大卒同期の長谷川凌汰が日本ハムから育成指名を受けた。同い年の選手の活躍に、刺激を受けた。

「長谷川は新潟に来て、一番最初にキャッチボールをした相手でした。人間性もプレーヤーとしても素晴らしく、手本になる投手でした。そういう選手が同じ学年にいてくれて励みになりました。ライバル視というより、コイツについていって自分も上がっていこうと思いました」

入団3年目の今季、「最後のシーズン」と覚悟を決めて臨んだ。オフのトレーニングの成果が出て、体重が15キロ増えた。直球の球速は最速147キロまでアップした。「手応えがあった」という矢先、またしても木原田をアクシデントが襲う。

「シーズン始まる前の紅白戦で、手に力が入らなくなりました。これはおかしい、と思いました。今年が最後のシーズン、と決めていたので、故障したことを誰にも言いたくありませんでした。7月にこっそり病院に行って、医師から診てもらったら右腕の『胸郭出口症候群』という血行障害だとわかりました。『手術をしなければよくならない』とも言われました。そのことを言われてから、なおさら『今シーズンで完全燃焼しよう』と心に決めて、プレーしました」


7月20日の福島戦で6回1死満塁の場面で登板し無失点に抑え、初のMVPを獲得

7月20日、新潟市のハードオフ・エコスタジアムで行われた福島戦では2点差に迫られた6回1死満塁の場面で登板、2者連続三振に抑え、無失点でピンチを切り抜けた。試合後の表彰式では初のMVPに選出された。気力で抑えた投球だった。

「シーズン中、夜はしびれと痛みでなかなか眠れない日もありました。手の感覚が思うようにいかず、シーズン終盤は気持ちで投げました。正直、野手に助けてもらった試合が多かった。ケガがなかったら…そうは思わなかったかと言われればウソになりますが、でもケガをしたからこそ、25歳まで諦めずに粘り強くやってくることができました」

今季は18試合に登板し、1勝0敗、防御率6・23という成績だった。木原田はシーズン終了後、現役引退を決めた。ケガに泣いた3年間だったが、「後悔はしていない」と挑戦の日々を振り返る。「(日本ハムの)長谷川には自分たちの代表として頑張ってほしい」とエールを送り、自身は一社会人として、新たな目標を探す。

「新潟は、九州出身の自分にとって最初は気候も食事も何もかも合わなくて、しょう油の味ひとつとっても全然違いました。でも、引退を決めて、新潟でお世話になった皆さんに連絡をしたら、とても温かい声を掛けていただきました。縁もゆかりもない、右も左もわからない、九州人に優しく接してもらいました。期待をされて入団しましたが、結果が出なかったことはめちゃくちゃ悔しい。でも、新潟でよかった、新潟だから3年間プレーさせてもらった、と思っています」


10月31日のサポータ感謝デーでは一人ひとりのファンに感謝の言葉を述べた。新天地で新たなスタートを切る

(取材・撮影・文/岡田浩人 写真/石澤朋子)

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