第103回全国高校野球選手権・新潟大会で2年ぶり11回目の甲子園出場を勝ち取った日本文理高校だが、大会前の前評判は決して高くはなかった。昨秋は準々決勝で加茂暁星に完封負け。今春は4回戦で関根学園に4点リードした最終回に5点を入れられ逆転負けし、ノーシードで夏の大会を迎えた。組み合わせでも強豪私立校が居並ぶ激戦ブロックに入った。しかし一戦ごとにチームは勢いを増し、一つにまとまっていった。どん底だったチームが夏の逆転優勝を掴むきっかけを作ったのは、春の敗戦後の、ある3年生の決断だった。
一塁ベースコーチとして走者に指示を送る日本文理・工藤天真(3年)
2年ぶりの甲子園出場を決めた7月27日、日本文理の渡邊暁仁主将は報道陣を前にこう話した。
「アイツがサポート役に回ってくれたおかげで、きょうの勝利がありました」
主将が言う「アイツ」とは…背番号13を付けた3年生・工藤天真である。
内野手の控えとして登録されている工藤だが、新潟大会には1試合も出場していない。しかしその存在感は抜群だった。一塁ベースコーチとして、攻撃時には大きな声で打者や走者を鼓舞し、ピンチの場面では全力でマウンドに駆け上がり伝令役を務めた。
「やり切ろう!やり切ろう!」
工藤がこの夏、何度も打者にかけた言葉である。少し甲高い声が何度も球場に響き渡った。4回戦の帝京長岡戦で同点に追いつかれた終盤、そして準々決勝の関根学園戦での緊迫した場面、工藤は仲間たちに「焦るな、焦るな」と言い聞かせた。この夏、日本文理の選手たちは常に冷静だった。
決勝戦で伝令役を務めた工藤(右)
工藤は新潟市の出身。鳥屋野中学校ではエースで四番打者だった。
「日本文理にはその強さに憧れて入学しました。中学時代はエースで四番でしたが、鈴木崇監督から評価をされたのは自分の『元気のよさ』。自分のそういう部分を評価してくださる人がいるんだと思って自信になりました」
鈴木崇監督(40)は「不器用だったが元気があって、2009年甲子園準優勝の時の中村大地主将に似ていた」と工藤のことを評する。
しかし日本文理に入学後、工藤はすぐに壁にぶつかった。
「1学年上には長谷川優也さん(現・東京農業大)、種橋諒さん(現・中央大)をはじめ、力のある先輩たちがたくさんいました。そういう先輩たちと自分を比べて、自信をなくしました」
このままではレギュラーになれない…そう思った工藤は1年生の冬期間だけ野球部の寮に入った。自宅は新潟市にあったが、「納得がいくまで練習したかった」という理由だった。
「夜の自主練習では1学年上の中澤駿弥さん(現・国士舘大)から誘っていただいて、一緒にずっとティー打撃をしていました。あの練習を続けたことでスイングの力がつきました」
努力の甲斐があって、昨秋の新チーム発足時に初のベンチ入り、サードのレギュラーの座を勝ち取った。しかし準々決勝の加茂暁星戦で完封負けを喫した。
迎えた今春の県大会、4回戦の関根学園戦では4点リードした最終回にファーストとして途中出場したが、自らの判断ミスもあり、5点を失っての逆転サヨナラ負け。2大会続けての日本文理“らしからぬ”敗戦に、チームの評判も、雰囲気も、どん底に落ちた。
春の県大会4回戦で関根学園に逆転負けしたことで、工藤は自らの道を決断した(右から6人目が工藤)
関根学園戦での敗戦後、学校に帰ったばかりの3年生たちの前で、工藤はある決断を口にする。
「俺はきょうからプレーヤーではなく、サポート役に回る」
突然の工藤の決意表明に驚きの表情が広がった。その真意を工藤はこう説明する。
「関根学園に負けた後、敗因を考えました。秋も春もチームとしてひとつにまとまっていない、鈴木監督が考えていることが3年生にしっかり伝わっていない、と感じました。自分が監督とのパイプ役になり、選手との間に入ることでチームがひとつになる役割を果たせるのでは、と考えました。チームが夏に勝つためには、自分がホームランを打つ打者になるために残り2か月努力するよりも、9人全員が単打でいいから、繋いで8点、9点取ることができるチームになるために、自分が残りの時間でできることをしたいと思いました」
春の敗戦から間もない5月21日、テスト明けの2、3年生が学校の視聴覚室に集められた。部員たちはそこで鈴木監督からある試合のビデオを見せられた。
2013年夏の新潟大会の決勝戦…日本文理が春の優勝校・村上桜ヶ丘との戦った試合だった。投打の中心だった飯塚悟史(現・DeNA)はまだ2年生。村上桜ヶ丘にはエース椎野新(現・ソフトバンク)を中心に力のある選手たちが揃っていた。春の準決勝で対戦した際には村上桜ヶ丘が7対3で勝利。決勝前の下馬評では日本文理は不利の予想だった。
序盤にリードを許した日本文理は中盤に逆転。さらに再逆転を許すも7回に集中打で4点を挙げ、7対5で優勝した。力が劣ると言われた3年生が投打で活躍した。優勝の瞬間、ビデオの中で実況アナウンサーがこう絶叫した。「やっぱり日本文理は強かった!」…。
鈴木監督はビデオを見終えた2、3年生たちにこう呼びかけた。
「ことしの夏、このセリフをお前たちは言わせるんだ」
工藤は震えていた。
「あのビデオを見たことで自分の心が決まりました。自分たちも2年生のエースの田中(晴也)を中心としたチーム…自分たちと似たような先輩たちがいて、似たように春に負けて…それでも夏に勝って甲子園に行けるんだ、と思いました。先輩たちのようにやってやろうと思いました」
工藤は“裏方”として自分の存在価値を発揮していった
裏方に回った工藤は、練習や練習試合の時には常に鈴木監督のそばにいるようにした。何気なく発せられる鈴木監督の“ボヤキ”を聞き、それを選手たちに伝えた。最初は「なぜ監督はこんなことを言うのだろう」と疑問に思っていたが、1週間、2週間…と時間が経つうちに、次第に監督の考えが分かるようになっていった。
「自分自身がプレーヤーだった春の大会までは『3年生ではなくて、なぜこの下級生を使うのだろう』という疑問もありましたが、監督のそばにいることでその意味を理解できました。すべては夏の大会までに3年生の力、チームの力を伸ばそうと考えているのだと。鈴木監督は四六時中、野球のことを考え、選手の細かい所までよく見ています。そこに気づいた自分の果たしている役割が面白くなっていきました。徐々に監督の考えがわかって、3年生には『お前のこういう部分を期待しているから監督は使っているんだ。こうやって欲しいから監督は言っているんだ』と“通訳”して伝えられるようになりました」
鈴木崇監督(右)のそばで常にチーム全体のことを考えながら動いてきた
夏に向け、少しずつチームはまとまっていった。メンバーが固まった後、ベンチ入りを逃した3年生が腐らずに自分がチームのためにできることをやるようになった。工藤はそんな3年生の仲間たちを頼もしく思うようになっていた。
「みんな周りから『弱い代』と言われるのが悔しかった。3年生は明確な仕事を与えればそのために頑張る仲間だったので、まとまったらすごい力を発揮するのではと思っていました」
夏の大会は初戦から難敵が相手だったが、随所に3年生が躍動した。2回戦の新発田中央戦では岩田大澄と高橋悠企の適時三塁打が飛び出した。4回戦の帝京長岡戦では遊撃のレギュラーを獲得した米山温人が攻守で活躍。準々決勝の関根学園戦では岩田が延長10回にダメ押しとなる2点適時打を放った。そして決勝では四番で主将の渡邊暁仁の初回の先制満塁弾で終始試合を優位に進めた。2年生バッテリーを周りの3年生が盛り立てたチームの状況は、8年前の逆転優勝と同じだった。
優勝の瞬間、工藤は誰よりも早くマウンドに駆け上がり、体全体で喜びを爆発させた。
「最高でした。今まで苦しかったことがすべて報われた、と思いました。自分が目指してきた全員野球ができた夏でした」
優勝の瞬間、工藤(左端)は誰よりも喜びを爆発させた
優勝の直後、スタンドあいさつから戻った鈴木監督が怒った口ぶりで工藤につぶやいた。
「フライアウトが9個だぞ。これじゃ甲子園で戦えないだろ」
「優勝した直後なのに…監督らしいな」と工藤は心で笑った。そして思った。監督が目標にしているのは、甲子園に出ることではない、甲子園で勝つことなんだ、と。
工藤は甲子園での自ら果たす役割を誓っている。
「甲子園で勝って、鈴木監督をお立ち台に立たせたい。そのために甲子園に自分の声を響かせたいと思います」
(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/嶋田健一)
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