甲子園球場で開催されている「第105回全国高校野球選手権記念大会」に初出場する東京学館新潟は9日、初戦となる1回戦で市和歌山と対戦する。創部41年目の夏に悲願の甲子園出場を決めた東京学館新潟で35年間にわたり指揮を執り、野球部の礎を築いたのが前監督で現在は顧問を務める長谷和昭氏(62歳)である。苦難の歴史を歩みながらも、「人間づくり」を部の基本に掲げた指導を「間違っていなかった」と振り返る。初の甲子園出場となるが「私立校である以上、絶対に一勝するんだという気持ちで臨んでほしい」と選手を鼓舞。試合前の外野ノッカーとして自身も初の甲子園の土を踏む。
前監督の長谷和昭氏…外野ノッカーとして自身も初めてとなる甲子園の土を踏む
新潟大会決勝後、お立ち台での優勝インタビューの最後に東京学館新潟・旅川佑介監督(41歳)が「最後にいいですか?」と一塁側スタンドに向かって呼びかけた。
「長谷先生、先生のつくった東京学館新潟が甲子園の土を踏むことになりました。おめでとうございます」
35年の長きにわたり監督を務め、2年前に勇退した長谷氏への祝福と労いの言葉だった。
長谷和昭前監督(以下、長谷氏)「優勝の瞬間は一塁側のスタンドで見ていました。旅川監督の言葉を聞いて、応援席にいたOBが皆、僕の方を見て手を振ってくれました。やっぱりうれしかったですね、あの言葉は。その場に立ち会えたとことと、選手の成長ぶりを思う存分見ることができて感動しました」
「決勝戦は4点を取られ、ウチが3点を取り返した時、1点差でいいからなんとか食らいついていけば、7、8、9回の終盤で勝負ができると思っていました。(準々決勝の)日本文理戦も中盤でひっくり返して終盤の勝負で、8回の日本文理のなんとも言えない繋ぐ圧力に、エースの涌井(陽斗)が耐え抜いたことが勝因だったと思います」
創部41年目の夏、悲願の甲子園初出場を決めた東京学館新潟
Q学校創立、そして創部41年目の夏に悲願の甲子園初出場を決めた率直な感想は
長谷氏「ひとつは、手前味噌になりますが、“基礎づくり”が間違っていなかったなと思いました。その基礎というのは、野球で言えば投手を中心にディフェンス(守り)をしっかりやっていくということ、それ以上に大切なのが『人間づくり』です。この両面を厳しくやってきたことが間違っていなかったのかなと思いました。今回、たくさんの人から連絡をいただきましたが、『あなたの土台があったからだよ』とうれしい言葉をいただきました。そこに旅川監督のプラスアルファが上乗せされて今回の優勝に至ったんだと思います」
Q思い切って決断し勝負に出るという「乾坤一擲(けんこんいってき)」を部のモットーに掲げてきました
長谷氏「だからこそ、時には厳しい言葉を発したりということもありました。けれどもその中で築かれてきた伝統というものもやっぱりあるんじゃないかなと思います」
乾坤一擲(けんこんいってき)をモットーに選手たちを鼓舞してきた(2019年撮影)
2000年夏、長谷氏が率いる東京学館新潟は初のベスト4入りを果たす。2005年、2006年にもチームは夏のベスト4に進出。甲子園までの道のりが見えたかに思えた。しかし、その後は夏の新潟大会でなかなか上位進出を果たすことができない時期が続いた。新入部員が一けたという時期もあった。
長谷氏「あの頃はね、やっぱり僕がプレた時期ですね。自分のやり方で本当にいいのか、と思って。なんて言うのかな…選手の顔色を見ながら野球やったり、保護者の顔色を見ながら野球をやったり…そういう時期がありました、今振り返ると。それが結局はダメだった」
「苦しかったですね…悩んで、自分自身がブレて…でも、そこで『これじゃダメだ』と。もう一回、やっぱり自分の気持ちの中でしっかりとしたものを入れてやり直そうと思いました。もう一度、選手の必要な力を鍛えよう、と。練習時間もメリハリをつけるようにしました。そうしたら選手の体と心にゆとりが生まれました。それまではもう本当に練習、練習、の繰り返しでしたから」
2015年秋には7年ぶりに北信越大会に出場。2017年にはグラウンドが全面人工芝に改修された。部員も右肩上がりに増え、部内は活気づいた。そして2019年夏には初めての決勝進出を果たす。
2019年夏、決勝進出を果たすも準優勝…甲子園まであと一歩届かなかった。左端は当時部長を務めていた旅川佑介現監督
長谷氏「2019年夏の準優勝は力のある投手が3人いました。野手は1年生をスタメンで使わなければいけないくらいの力でしたが、ワンチャンスのところでタイムリーが出て勝ち上がることができました。決勝戦は日本文理に圧倒されましたが…。翌年の2020年をもって勇退しようと考えていましたが、コロナ禍もあって夏の甲子園大会が中止になり、もう一年続けることになりました。2021年夏は3年生に力のある野手がいた代だったのですが、準々決勝で新潟明訓に逆転負け。最低でもベスト4と考えていたので、これではダメだと自分で思いました。年齢のこともあり、この夏が終わった後、旅川部長にバトンを渡しました」
「自分の後任は彼しかいないと思いました。やっぱり野球に情熱がある。『人間づくり』という根っこも一緒。野球については僕とタイプ的に似ているんだけども、中身は少し色が違う。そういう部分でウチのチームは何かが変わるんじゃないかなと思いました」
旅川監督が就任した東京学館新潟は昨春の県大会で初優勝。昨秋はベスト4、そして今夏は準々決勝で日本文理、決勝で中越という“2強”を破り、初の甲子園切符を手にした。苦難を乗り越えながら長谷氏が走り続け、そして託したバトンを、旅川監督が受け継いで甲子園出場という“ゴールテープ”を切った。
大阪へ向かう選手たちを見送る長谷氏(1日)…長谷氏は8日に大阪入りし、初戦で外野ノッカーとして選手を後押しする
ただ、甲子園出場という結果はひとつのテープに過ぎない。長谷氏は東京学館新潟が次なるステージに立つためには甲子園での勝利が必要だと考えている。長谷氏は9日の試合前、外野ノッカーとして甲子園の土を踏む。選手のため、チームの勝利のため、思いを込めて聖地でバットを振る。
長谷氏「ウチは公立ではなくて私立なので、甲子園に出てオッケーというわけにはいかない。選手もそうは思わないでほしい。やっぱり一つ勝つことで、ウチが今度は連続で甲子園に行けるチームになっていくんだと。だから甲子園に出ることで満足するな、絶対に一勝するんだという気持ちで臨んでほしいと思っています」
取材中、長谷氏の右頬を一筋のしずくが伝った…汗にも、涙にも見えた
(取材・撮影・文/岡田浩人 2019年写真撮影/武山智史)
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