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父子で甲子園の夢叶わずも「次は指導者で父子勝負」・・・五泉・後藤拓朗主将

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勝負の世界には、時に残酷な結末が待っている。

父親が監督。息子が主将。「父子鷹」として注目を集めた五泉。
19日の4回戦で新潟工を相手に3対1とリードして9回を迎えていた。
しかし1死からミスをきっかけに同点に追い付かれる。

迎えた延長12回表、2死2、3塁のピンチ。
ショートとセンターの間の難しい場所にボールが飛んだ。
「拓朗なら捕れる」・・・父の後藤桂太監督は確信した。センターの息子・後藤拓朗は俊足を飛ばして落下地点へと入る。
「捕った」・・・そう思った瞬間、白球が拓朗のグローブからこぼれ落ちた。
痛恨の落球。1点を勝ち越され、その1点が決勝点となった。
延長12回、3対4で敗戦。甲子園初出場を目指した五泉の夏は終わった。

父・後藤桂太監督(左)と息子・後藤拓朗主将(左から3人目)

父・後藤桂太監督は1984年春の選抜大会に新津高校の捕手として甲子園に出場した。「甲子園に行けば人生が変わる」・・・長男の拓朗は子どもの頃から父にそう聞かされてきた。
拓朗は五泉北中学時代に本格的に野球を始めた。「足は速かったがそんなにうまい選手ではなかった」(父・後藤桂太監督)が、中学3年では準硬式のKボール新潟県選抜に選ばれた。私立高校からの勧誘もあったが、父のもとで甲子園を目指す決意をした。
それ以来、父と子の関係は「監督と選手」に変わった。自宅でも拓朗は父親を「監督」と呼び、普段の生活から敬語を使って話すようになった。
父の息子への指導は厳しかった。「物凄く叱られました」と拓朗は振り返る。監督も「いつもどやしつけていた。耐えて頑張れ、と思っていた」という。

父の期待に息子は応えた。新チームで主将になり、不動の1番打者としてチームをけん引した。去年秋の新潟県大会でベスト4に進出。北信越大会で強豪の敦賀気比(福井)に善戦し、春の選抜甲子園の21世紀枠の最終候補に残った。
「冬は21世紀枠の候補に選ばれて、甲子園ではどういう戦い方をしようかと監督と毎日そういう話ばかりしていました」(拓朗)
20121012五泉
去年10月、新潟県大会3位で北信越大会に出場

しかし、1月の選抜大会の選考委員会の結果、五泉は21世紀枠の選考から漏れた。甲子園出場の夢は叶わず、後藤桂太監督は記者会見で涙を見せた。そして、選手たちにこう言った。「お前たち、悔しいよな。神様はお前たちに『もっと力をつけてから甲子園に行け』と言っているんだ」。
主将の拓朗は父である監督の涙を見て「燃えました。夏は監督を甲子園に連れて行こうとみんなで誓いました」という。

1月25日、21世紀枠で選考漏れし涙を見せる後藤桂太監督

迎えた夏。初戦をコールド勝ち。2戦目も苦しみながら勝利で飾り、シード校・新潟工との対戦となった。
「練習試合でも勝ったことがなかった」(後藤桂太監督)という新潟工相手に、序盤に2点を先制。5回には拓朗の中越え二塁打をきっかけに1点を追加。五泉ペースで試合は進んでいた。

19日の新潟工戦。5回に後藤拓朗主将が3点目のホームを踏む

しかし、7回に1点を返され、9回には同点に追い付かれた。延長12回、新潟工のエースで7番打者の増子のセンター前への当たりを拓朗がよく追いついたものの落球。新潟工に逆転を許した。
拓朗は振り返る。
「新潟工のエース増子とは中学時代にも県大会で対戦しました。その時にセンター前に来た当たりを僕が捕れずにサヨナラ負けを喫してしまった。あの時もっと前に出ていれば…とずっと思っていました。今回も増子の打った球が僕のところに飛んできました」
中学時代と違い、拓朗は迷わず前に出た。ボールには追いついた。しかし、ボールはグローブに当たり芝生に落ちた。

「捕れた打球でした。自分の力不足でした」
敗戦後、涙を流すナインの中で、拓朗は決して涙を見せようとはしなかった。
ベンチ裏で報道陣の取材に健気に応じていた。
「自分の甘さが出ました」・・・敗戦の責任を一身に背負っているように見えた。
父親の後藤桂太監督は、無念の表情で言葉を絞り出した。
「まさかこういう負け方で終わるとは・・・。悔しさしかない。もう、悔しいですわ。勝たせてあげたかった」・・・そう言うとうなだれた。

敗戦から一夜明けた五泉高校グラウンド。
朝8時過ぎには3年生17人が集まっていた。
グラウンドの草むしりをし、下級生である1、2年生の練習を手伝っていた。

後藤桂太監督はさばさばした表情で前日の試合を振り返った。
「きのうの試合は良いところも悪いところも出るものが全部出た。練習通りのことが本番で出る、練習でやっていることしか本番で出せない。このことをこの先の人生に生かして欲しい」

敗戦から一夜明けた20日、五泉高校グラウンド

そして父と子の関係ではなく、監督と選手、監督と主将として拓朗と過ごした2年4か月をこう語った。
「無茶苦茶幸せな時間だった。息子が上達していく姿を一番近くで見ることができて・・・アイツが打って、どうだ!という表情でこっちを見る。たくましくなったなと思っていた。今は親と子が仲良く・・・という時代だけど、こういう関係の父子でも幸せだった」

拓朗は大学への進学を希望している。父と同じ教師の道を目指し、高校野球の指導者になることが目標だという。

試合に負けた夜、帰宅した父に呼ばれた。部屋で2人きりで話をした。
「『きょうの試合はお前で負けた』と言われました。その後、『甲子園にお前と一緒に行くという俺の夢は終わった。だけど、この先の俺の夢は、監督となったお前と戦うことだ。それを目標にやっていこう』と言われて・・・。監督と握手をして、そこで初めて涙があふれました」

五泉高校野球部3年生の部員たち(真ん中が後藤拓朗主将)

後藤桂太監督は「これから息子とどう付き合っていけばいいのか」と照れながら笑った。父子鷹の物語は第2章へと向かう。

拓朗は「まだ教えてもらうことがたくさんあるので、卒業するまでは『監督』と呼ばさせていただきます。甲子園には連れて行けなかったけれど、違う形で恩返ししたい。将来、高校野球の監督になって、絶対に『監督』に勝ってみせます」
そう言って笑う拓朗の目は、父にそっくりだった。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


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