新潟南高校の監督として1984年夏の甲子園で新潟県勢戦後初のベスト8入りを果たした関川弘夫氏(70)が今春、瑞宝小綬章を受章した。受章を記念した祝賀会が11日、新潟市のホテルで開催され、野球部の教え子ら約100人が集まり、関川氏の受章を喜んだ。
教え子から花束を贈られ、笑顔を見せる関川弘夫氏(左)右隣はマサ子夫人
関川氏は1947年に新潟市で生まれ、新潟南高校、日本大学を経て、1971年に新潟養護学校で教師生活をスタートさせた。1979年に母校である新潟南高校に赴任し、野球部監督に就任。1984年夏の甲子園に初出場を果たし、新潟県勢として戦後初のベスト8に進出。1989年夏には2度目の甲子園出場を果たした。糸魚川白嶺高校や新発田農業高校の校長を経て、2008年春に退職。現在は妙高市の全日本ウィンタースポーツ専門学校の校長を務めている。
ことし4月、公共の業務に長年従事した人に贈られる瑞宝小綬章を受章。教え子の有志が発起人となって祝賀会を催した。1984年の主将・青山准さんやエース・林眞道さん、1989年のエースで四番打者だった渋倉崇行さんなど、教え子を中心に約100人が集まり、恩師の受賞を喜んだ。
祝賀会には教え子ら約100人が集まった
発起人の1人で1984年夏の甲子園メンバー・荒井宏幸さん(51)は「きょうは甲子園の大会7日目。1984年の初陣を飾った京都西に勝ったのも大会7日目で、縁を感じる」と挨拶。
謝辞に立った関川氏は「甲子園にはエネルギーがある。作詞家の阿久悠さんはそれを『感』という言葉で表した。感動、感激、感謝、感銘、感覚、感性…いろいろな感が1つになってこそ、現代人が忘れたエネルギーが発せられる。それが明日への糧だと言っていた。きょうは『感』というボールを皆さまに投げたい」と話し、「今回の受章は皆様と学校関係者、野球関係者、家族との縁があり、縁が運を生んだ。運が切磋琢磨し、今日を生んだ。皆様と一緒にいただいた叙勲。心に刻んで生きていきたい」と感謝の言葉を述べた。関川氏と参加者は約3時間、思い出話に花を咲かせた。
(取材・撮影・文/岡田浩人)