甲子園球場で開催中の「甲子園交流試合」で16日、中学硬式野球の新潟北シニア出身の曽我一瑳選手(高志中等教育学校)が群馬・桐生第一高の二番打者・中堅手として先発出場した。兵庫・明石商高と対戦して2対3で惜敗したが、プロ注目の中森俊介投手を相手に4打数2安打あ盗塁の成績を残し、聖地で躍動した。
新潟北シニアから誕生した初の甲子園出場選手で、新潟市内では後輩や元チームメイトたちが声援を送り、活躍を見守った。
インターネット中継で曽我一瑳選手のプレーを見守る新潟北シニアの選手たち
曽我選手は新潟市立高志中等教育学校の3年間、新潟北シニアでプレー。3年時には主将を務めた。宮澤公一監督は「左腕のエース投手だったが、走塁のセンスが抜群だった。次の塁へ進もうという力が図抜けていた」と振り返る。
高志中等教育学校には野球部がなかったため、普通高校への進学を考え、「強豪校で甲子園に出場したい」と県外の群馬・桐生第一高に進学した。高校では投手から外野手へと転向し、昨秋の秋季群馬県大会では2本塁打をマークするなど長打力に磨きをかけて活躍した。チームは昨秋の関東大会でベスト4に進出し、春の選抜大会出場を決めた。コロナ禍で選抜大会が中止となったが、今回の交流試合で曽我選手は念願だった甲子園の土を踏むことになった。
新潟北シニア時代の曽我一瑳選手 エースで主将を務めた(写真は新潟北シニア提供)
新潟北シニア出身選手として初の甲子園出場を果たした曽我一瑳選手(写真は新潟北シニア提供)
16日の交流試合で、曽我選手は初回にチーム初安打となる内野安打で出塁。8回には右前安打を放ち、二塁盗塁を決めた。試合には敗れたが、甲子園で躍動した。
新潟市で試合中継を見守った元チームメイトで新潟明訓高3年の中島貴斗さん(18)は「中学で一緒にやっていた頃とは別人のようで、頑張っている姿を見ることができてうれしかった」と話し、「自分も大学で野球を頑張ろうと思った」と刺激を受けた様子。新潟北シニアの座主勝永さん(14・光晴中2年)は「新潟北シニア出身の先輩が甲子園でプレーしている姿を見て、誇らしかった。自分も将来は甲子園を目指して、新潟県を制覇できるような選手になりたい」と目を輝かせていた。
(取材・撮影・文/岡田浩人 写真提供/新潟北シニア)