BCリーグの開幕戦がおこなわれた13日のハードオフエコスタジアム。昨年の王者・新潟アルビレックスBCに挑む群馬ダイヤモンドペガサスの開幕投手には、新潟県出身のピッチャーが選ばれた。栗山賢。三条市出身で日本文理高校を卒業した23歳だ。栗山は新潟県の高校野球の『歴史の扉を開いた男』だ。
2005年10月11日。秋の北信越大会準決勝。この試合に勝てば選抜甲子園が確実になるという一戦。新潟県代表の日本文理は、甲子園常連校・福井商業と対戦した。当時、新潟県勢は福井商業や石川の星稜といった北信越強豪校の壁を破ることができなかった。その大事なマウンドを託されたのが、まだあどけなさの残る当時1年生だった栗山だった。その武器は鋭く曲がるスライダー。そのスライダーで福井商業打線から三振の山を築き、試合は6-4で勝利。日本文理は初の選抜甲子園切符を手にした。
翌年の春の選抜甲子園では栗山と、横山龍之介投手(前阪神タイガース)の活躍で日本文理は新潟県勢初勝利を挙げ、その勢いで初のベスト8に進出。その活躍を見て日本文理への進学を決めた当時の中学3年生が2009年の甲子園準優勝世代だ。日本文理の大井道夫監督は「福井商業とのあの一戦から強豪校に名前負けしなくなった」と振り返る。その意味で、栗山賢は『新潟県の高校野球史を変えた男』と言える。2年生の春と夏、そして3年生の春と甲子園のマウンドでそのスライダーを披露した。3季連続で甲子園のマウンドを踏んだピッチャーは新潟県ではただ1人、栗山だけだ。
新潟県大会では1試合に19奪三振を記録し、NPBスカウトも注目するピッチャーだった栗山。しかし高校卒業後は試練が待っていた。社会人チームに入ったが、ケガなどで思ったような活躍ができなかった。NPB入りを目指して環境を変えようと、2010年秋にBCリーグのトライアウトを受験。群馬にドラフト指名され入団した。去年は先発の一角として4勝をあげ、ことしは開幕投手に抜擢された。
「1週間くらい前に開幕投手だと言われて、うわぁ、地元だと思いました」(栗山)。13日の開幕戦では6回で90球を投げ、被安打はわずかに3。しかし2回には自らのフィルダースチョイスからピンチを招き失点した。結局3失点でマウンドを降り、敗戦投手となった。「友達も家族もスタンドにいて、珍しく緊張しました。キャンプ前に腰を痛め、オープン戦で1試合しか投げていなかったので、1イニング目を0で抑えられてほっとしました。そのままいければと思ったが、もったいない失点が多かった・・・。次にいかしたいです」と反省した。
度重なる故障で、高校時代には140キロ台中盤を記録したストレートも、13日の試合では130キロ台中盤ほどだった。しかし阪神や楽天で活躍し、ことし群馬の投手コーチに就任した川尻哲郎コーチは「いいボールを持っているし、ストレートに力がある。今は特に下半身の使い方を教えているところで、そこがうまくできれば140キロ台も出せるようになる。変化球もまだまだ磨けるし、今シーズンは先発ローテーションの柱として考えています」と期待を寄せる。
栗山は「川尻コーチからはデータを使った配球を教えてもらい、勉強させてもらっています。今の自分は球が速い訳ではないし、キレのある変化球がある訳でもない。でも右バッターのインコースを突けるのが自分の持ち味。特に右バッターには打たせないピッチャーということをアピールしたい」とさらなる向上に意欲を見せる。
新潟県の歴史を塗り替える投球から8年。高校卒業後、決して順風満帆ではなかった野球人生だったが、試練を乗り越え、その集大成として栗山は2013年シーズンに挑む。「去年はチームが最下位で本当に悔しい思いをしました。チームが勝てるなら、どこでも投げるつもりです」・・・そう言い切る表情は逞しかった。
(取材・文/岡田浩人)