「第99回全国高校野球選手権大会」に新潟代表として3年ぶり9回目の出場を果たした日本文理高校のベンチ入りメンバー18人と記録員のマネージャーを前編・後編の2回に分けて紹介する。
※名前・読み方・学年・守備位置・出身中学(硬式出身チーム)・身長体重・投打
⑩西村勇輝(にしむら・ゆうき 3年・投手)
燕中(新潟シニア) 184センチ75キロ 右投右打
最速144キロの本格派右腕。昨秋はエース級の活躍で、県大会優勝の原動力となった。3年前の甲子園ベスト4を見て、「飯塚(悟史)さんを見て憧れた。甲子園を目指したいと考えた」と日本文理に入学。大きな飛躍を遂げたが、昨秋は北信越大会準決勝で5点差を守れず逆転負け。甲子園への道のりは遠かった。今春はじめに右ひじを痛め、「感覚が戻らなくなり、思い通りの投球ができなかった」。新潟大会では本来の直球の伸びは影を潜めた。ただ、甲子園が決まった後のブルペン投球では伸びのある直球を投げ込み復調の兆しを見せている。「新潟大会ではチームのために全然活躍できなかった。甲子園で投げさせてもらえるなら、これまでのことを全部取り返す気持ちで投げる」と力を込める。
⑪新谷晴(しんや・はると 2年・投手)
富山・氷見北部中 173センチ79キロ 左投左打
左腕から130キロ台中盤の直球とキレのある変化球で勝負する2年生。新潟大会では2試合で先発し2失点。3回戦、準決勝で好投も、「自分自身で納得のいく投球ができなかった」と甲子園での雪辱を誓っている。隣県の富山県の出身。中学3年生で全国大会3位の成績を残した。「1歳上の川村さんたちがいて県外でやってみたいと思った。自分も打撃が好きで大井監督の打ち勝つ野球に憧れた」と入学の理由を話す。昨夏公式戦初登板、今春にかけてエース稲垣に続く二番手として成長した。「球速も上がり、打たせて取る投球技術もできるようになった」。将来の夢はプロ野球選手。「先輩たちのためにいい結果を残し、自分たちの代でも甲子園に行けるように頑張りたい」。
⑫堤俊輔(つつみ・しゅんすけ 3年・捕手)
東北中(長岡シニア) 175センチ84キロ 右投左打
控え捕手。「投手をいい状態でマウンドに上げたい。投手も緊張すると思うのでコミュニケーションを大事にしたい」と語る。2年夏には四番も任されていた左の強打者だが、昨夏の4回戦・長岡大手戦ではチャンスで凡退しチームも敗れた。それ以来、「1つのチャンス、1球の甘い球をモノにするために練習を続けてきた」。今春は肺炎を起こしベンチから外れたが、「苦しい経験だったが外から違う景色で野球を学ぶことができた」と前向きにとらえ、夏の成長に繋げた。左の代打の切り札としての期待も高い。「目標としていた場所にやっと立てる。甲子園では甘い球は数少ないと思うが、その1球を仕留めたい」と意気込む。
⑬永田翔也(ながた・しょうや 3年・一塁手)
兵庫・松崎中() 173センチ82キロ 右投右打
右の長距離砲。今春の北信越大会ではエコスタで2試合連続本塁打を放った。「打席では俺がやるしかないという思いで立っている」。新潟大会決勝では代打で出場し、追加点となる犠飛を放ったが、「あそこで安打を打てなければ」と反省を忘れない。兵庫県の出身で名門・宝塚ボーイズでは中軸を打ってきた。「(3年前に甲子園ベスト4入りを果たした)黒臺(くろだい・騎士…現・山梨学院大)さんが先輩で、打撃に自信があり、勝負したいと思った」と日本文理に入学。2年秋の北信越大会で活躍するも甲子園出場を逃し、「冬場は一日1000スイング。夜は寮でも素振りしていた」と打撃に磨きをかけてきた。「好球必打」を心掛け、地元である甲子園でのプレーを心待ちにしている。
⑭倉川悟(くらかわ・さとる 3年・内野手)
東京・大阪上中() 177センチ78キロ 右投右打
新潟大会では代打として2打数1安打。内野も外野も守れる貴重な戦力である。東京都の出身。中学生の時に09年夏の甲子園準優勝のことを記した書籍を読み、日本文理に進学したいと考えた。「親に相談したらびっくりされた」というが、喜んで送り出された。ただ「入学してみたら同期が多く、その体つきに圧倒された」。中学までは軟式で投手だったが、高2春から打撃をいかすため野手に転向しベンチ入りを果たした。ただ打撃好調で迎えた2年秋の練習試合で肩を脱臼。「メンバーに入れず、悔しかった」と唇を噛む。冬場に同期の笠栁大地と自主練習を繰り返し力をつけた。「甲子園ではではベンチを外れた笠栁や仲間のためにも頑張りたい。新潟大会では代打でのチャンスが多かった。甲子園でも代打での1球のチャンスで決めたい」。
⑮星野稜(ほしの・りょう 3年・外野手)
埼玉・加須西中(加須シニア) 172センチ70キロ 右投左打
強肩の外野手。打撃も光るものがあり、新潟大会では打率・556をマークした。50メートル6・2秒と足も速く、守備や打撃でいざという時の起用が予想される。埼玉県の出身。3歳上の兄(晃司さん)が長野・地球環境高のエースだった4年前の秋の北信越大会を観戦。「準決勝で日本文理の池田貴将さんにサヨナラ打を打たれた。兄が負けた打撃の日本文理で甲子園を目指したいと思った」と入学のきっかけを話す。自主練習では飯田、長谷川の外野手とともに「バットばかり振ってきた」。その成果が新潟大会で発揮された。「甲子園で勝たなければ意味がない。重圧に負けないよう自分のプレーをしたい。目の前の打席、目の前の1球に集中したい」と意気込む。
⑯吉川龍(よしかわ・りゅう 3年・内野手)
柏崎三中(柏崎シニア) 167センチ64キロ 右投右打
三塁コーチャーとして、瞬時の判断が求められる大事な役割を任されている。「チームを勝たせることが自分の役割」と話し、試合前の相手校の分析、試合中のベンチの仲間のケアなど、「試合に出ること以上に試合以外の部分で皆の力になる」と話す。中学時代は柏崎シニアの捕手として全国大会を経験。09年夏の準優勝、14年夏のベスト4を見て、「新潟で甲子園に行くなら日本文理」と進学した。普段は感情を表に出さないようにしているが、新潟大会で優勝を決めた直後は「スタンドにいるメンバー外の3年生や先輩たちの顔を見たら涙が溢れた」と振り返る。甲子園では「大舞台で今まで以上に選手も緊張する。気持ちで助けてあげたい」とまとめ役に徹する覚悟だ。
⑰原田航汰(はらだ・こうた 3年・投手)
巻西中 179センチ66キロ 右投右打
右横手からストライクゾーンを広く使って打たせて取る。直球の最速は130キロ台前半だが、スライダー、カーブ、シュート、スプリット、チェンジアップと多彩な変化球を操る。中学時代は巻西中のエースで、北信越大会で川村、稲垣がいる富山・桜井中に敗れた。「甲子園で勝ちたかった」と日本文理に進学すると、敗れたライバルがチームメイトに。互いに切磋琢磨してきた。入学当初は上手投げだったが、2年春から「自分の生きる道として」横手投げにフォームを変えた。「辛くても耐えなければいけない場面はある。踏ん張る力がついた」と精神面の成長を実感している。甲子園では「ピンチをチャンスに変える自分の役割を果たしたい」と出番に備える。
⑱鈴木裕太(すずき・ゆうた 2年・投手)
小針中(新潟シニア) 182センチ84キロ 右投右打
中学時代からその速球に話題が集まっていた。昨秋の県大会では最速148キロをマーク。叩きつけるような独特のフォームが特徴である。今夏の新潟大会では4試合に登板し2失点。「冬に変化球を練習してきたが、大会でうまく出せなかった」と唇を噛む。今春、右ひじを痛めた影響で、「ボールを投げていない期間があり、新潟大会ではフォームがしっくりきていなかった」と話す。ただ「自分のフォームで投げることができれば球速は出る」と自信ものぞかせる。「先輩たちからいつも優しく接してもらっている。甲子園では先輩たちのためにも思い切り投げたい。甲子園では2年生で150キロを投げたい」と意気込んでいる。
[記録員]山下ゆり(やました・ゆり 3年・マネージャー 写真左)曽野木中
3年生唯一の女子マネージャー。新潟大会決勝で優勝し甲子園出場を決めた直後、大井監督から「よかったな」と肩を叩かれ、「苦しいこともたくさんあったが、続けてきてよかった」と自然に涙が溢れた。小学生の時から野球に魅せられてきた。「幼馴染が野球をしていて興味を持った。子どもの頃からテレビや東京ドームで野球を見るのが好きだった」という。日本文理に進学すると迷わず野球部のマネージャーになった。中学時代はテニス部だったため、「体力には自信がある」。重い荷物を運んだり、水分を用意したり、選手を支える立場に徹している。「甲子園は選手が輝ける舞台。持っている力以上のものが発揮できるように、選手を支えたい」と話す。
(取材・文/岡田浩人 撮影/嶋田健一 撮影/武山智史)