今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう「回顧2019」。第2回は高校野球で今夏の新潟大会を制し、監督として初めて甲子園で指揮を執った日本文理高の鈴木崇監督(39)に話を聞いた。昨秋、今春、今夏と県大会を制し、甲子園では1回戦で関東一高(東東京)に敗れたものの6対10と善戦した。2年生レギュラーを多く抱え、秋の県大会でも選抜甲子園出場を期待された。しかし県大会初戦となる2回戦で東京学館新潟に敗れ、実に32年ぶりとなる初戦敗退を喫した。“天国と地獄”を味わった指揮官が今季を振り返り、来季に向けたチームの現状を語った。
冬季練習中のグラウンドで、今季を振り返る日本文理高・鈴木崇監督
Q今季を振り返って。
鈴木監督(以下鈴木)「シーズンを通して振り返ると、日本文理としては去年夏の4回戦敗退からの這い上がりだった。私よりも選手たちが周りのいろいろな声を吸収しながら、自分たちの立ち位置を確立して力にしていった。監督として初めて甲子園に出場したというよりも、日本文理として夏10回目の甲子園出場ができたことがよかったと考えている」
Q夏の新潟大会は一戦ごとに強さを増していった。
鈴木「パズルのピースに例えると、(去年秋にケガをした)エースの南(隼人)という絵の“中心”が出てきたことが一番よかった。春は南抜きでの戦いの中、中心がない中で絵を描きながら優勝できたが、そこに夏は南という最後のピースがはまった。対戦相手も新発田中央からスタートして、新潟県央工、長岡商と、一戦一戦いい内容でクリアでき、準々決勝以降の試合に臨むことができたのも大きかった」
夏の新潟大会優勝を決め、長坂陽主将(右)と握手
Q監督としての初めての甲子園での采配を振り返って。
鈴木「試合までの体調管理や大阪での過ごし方は、これまでの先輩たちという教科書があり、暑さ対策も経験があった。試合前までは万全の状態でいけた。ただ、試合の中での興奮度というか、調子がいい悪いというよりは南が甲子園に飲まれたのかなという感じが出てしまった。1回に先制した有利さが感じられないまま、すぐに追いつかれ…その後、3ボール0ストライクから本塁打を喫した。本塁打という結果だけでなく、思い切りという意味合いで、走る姿、打つ姿が関東一高にはあり、逆に教えられた。ウチがやらなければいけないことが見えた試合だった」
Q選手としての甲子園(1997年夏)と、監督としての今回の甲子園はどう違った。
鈴木「まるまる1試合を見ることができたのが初めてだった。(というと?)今までコーチ時代は試合前にノックを打つ、グラウンドを出る、(バックネット裏などで)挨拶に回る…スタンドに戻ってくる頃にはだいたい3回くらいが終わっていた。プレイボールから試合終了まで、甲子園での日本文理の試合を見ることが(選手時代以来)初めてだった(笑)。よく『甲子園だからという戦い方はダメ』と言われるが、前回出場時(2017年夏)は鈴木裕太(現・ヤクルト)を先発に持っていった大井監督(現・総監督)もそうだが、『甲子園だから』という戦い方も用意しておかなければいけないということも感じた。今回、ウチは(新潟大会)決勝そのままのオーダーでいったが、関東一高は柔軟だった。甲子園で戦い方を変えるという意味ではなく、そういうバージョンも頭に持ち合わせた方がいいと感じた」
Q甲子園後の新チームは選抜甲子園を目指した中、秋の県大会初戦(2回戦・東京学館新潟)で5対7で敗れた。
鈴木「今までもOBたちは秋の戦いは苦戦した中でも勝ち上がり、北信越での戦いを繰り広げてきた。この選手たちに関しては公式戦1試合目で、2回の4失点というのが大きかった。そこから追いつけずに負けた。夏の甲子園と一緒だったが、満塁機で1点しか取れなかったところが課題。最少失点と最大得点はゲームをやる上での基礎。公式戦を1試合しかできなかった中で、見つかった課題を練習中にどう落とし込もうか考えながら冬の練習をやっている。まずは投手の確立から」
選抜甲子園出場を目指した新チームは秋の県大会初戦で敗退、出直しを誓う
Q秋に背番号1を背負った種橋諒投手は秋以降フォームを見直す中で143キロを計測した。
鈴木「種橋はこの1年間、体力づくりという面では、春はベンチに入らず、秋に向けての練習を重ねていた。夏にベンチ入りして登板経験を積み、甲子園では登板機会がなかった中、6月から8月にかけての体力づくりがまだまだだった。秋に背番号1として先発したがスタートでくじいた形になってしまった。ただ、敗戦後は練習試合でバッテリー間のコミュニケーションが増えたと、前向きにとらえている」
Q来夏2連覇を目指すチームにとって、試練の冬となる。
鈴木「今の2年生は45人という大所帯。この人数でまとまりを持って試練を乗り越えるのは大事。その一歩目ができた敗戦後の9月、10月だった。この夏は20人の3年生がまとまったことを、後輩の2年生45人が見ていた。秋の結果を受け、ウチの課題は点数を取ることや(優勝した)北越や(初戦で敗れた)東京学館新潟に勝つこと、の手前だったのではないかということを突き付けられた。試合で力を発揮できなかった…それをもう一度繰り返さないための冬は地盤づくり。自分自身も監督としてまだ足りない部分がある。コーチ時代から選手と一緒にやってきたが、それを“指揮”として選手を動かす立場の明暗が一気に出ている感じがする。この経験が日本文理にとってよかったんだと来年夏に言えるようにしたい」
(取材・撮影・文/岡田浩人)