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【回顧2019】指揮官に聞く①新潟医療福祉大・佐藤和也監督

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2019年も残りあとわずかとなった。今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう。第1回は新潟医療福祉大を率いて7年目のシーズンを終えた佐藤和也監督(63)。関甲新1部で初のリーグ優勝を狙った今春はまさかの全敗で6位となり、その後の入れ替え戦でなんとか1部残留を決める内容だった。しかし秋は一転、投打が噛み合い、優勝した白鷗大から勝ち点を奪うなど6勝5敗と勝ち越し。最後まで上位争いを演じた末、勝ち点3の4位となった。4年生は卒業するが、チームの中心に成長した2、3年生を軸に、来季は創部初の優勝を目指す。

今季を振り返る新潟医療福祉大・佐藤和也監督

Q今季を振り返って。
佐藤監督(以下佐藤)「去年秋のリーグ戦が終わった後に、エースの飯塚亜希彦(4年・上越)が右ひじの手術をした。今春のリーグ戦には間に合う予定だったが、復帰がずれ込んでしまった。チームとして投手陣を含めみんなでカバーしようと努めたが、力が出せず最下位になってしまった。ただ、飯塚が帰ってきたことで、春の入れ替え戦では一部残留を決めることができた」

Q春のリーグ戦は予期せぬ10戦全敗…そこからの立て直しは。
佐藤「春の戦いで、エースがいないことはこんなに厳しいものなのかとみんなが分かった。高校野球では少し投手力が弱くても打でカバーできる部分はあるが、大学野球では投手を含めたディフェンス(守り)がしっかりしないと上のレベルでは一気に戦えなくなる。飯塚1人がいないだけでこれだけガタつくのかと実感した。ただ、ほかの投手陣が夏場のオープン戦で頑張って成長したことが、秋の結果につながった」

上位を狙った春のリーグ戦では10戦全敗 エース不在が響いた

Q秋は開幕で山梨学院大に連敗したが、そこから5連勝だった。
佐藤「夏のオープン戦からいい形で戦えていた。秋は期待していた。第2節の作新学院大戦で連勝。飯塚、左腕の桐敷拓馬(2年・本庄東)、伊藤開生(3年・成城)を中心とした投手陣がしっかり投げてくれ、守備で自信を持てたことが打撃に集中でき、結果につながっていった。振り返れば春のリーグ戦で全敗だったが、負ける中でも粘り強く戦うことを憶えたことで、秋は1点差でも勝ちぬける力がついた」

Qハードオフ・エコスタジアムでの平成国際大との第2戦では桐敷投手が延長10回を投げ、リーグ最多記録タイの1試合18奪三振を記録した。
佐藤「あの試合の前から徐々によくなっていたが、あの試合は特に出来がよかった。体重を乗せて、腕をしっかり振るフォームが固まった。9回でも146キロ、10回でも145キロが出た。チェンジ、カット、スライダーもキレがある。投げっぷりもよく、笠原(祥太郎=中日)の2年生の時よりもいい。このまま故障なく成長していってほしい」

新潟医療福祉大・桐敷拓馬(2年・本庄東)
9月22日の平成国際大との第2戦で18奪三振のリーグ最多タイ記録をマークした

Q右の伊藤投手もさらなる飛躍が期待される。
佐藤「春のリーグ戦の後に強烈に叱咤した。『何のためにここに来たのか』と原点に戻らせた。『周囲から本当にプロを目指しているように見えるか?誰が見てもプロを目指しているようにしてみろ』と言った。そこから吹っ切れたようによくなった。まだ100点ではないが、白鷗大戦でもいい投球を見せた。3年生なのであと一冬ある。150キロに迫る素晴らしい直球を投げる。来年は4年生の自覚が出てくれば上が見えてくる投手になる」

Q4年の飯塚投手は4勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得した。
佐藤「豪腕タイプではないが粘り強く試合を作っていける力がある。多少安打を許しても大崩れしない。4年生としてのエースの自覚があり、そこに支えられてチーム全体が精神面で成長できた。社会人チーム(富山・ロキテクノベースボールクラブ)入りが決まっているので、そこでさらに上を目指してほしい」

大学最後のリーグ戦で最多勝のタイトルを獲得した飯塚亜希彦(4年・上越)

Q秋は4位だったが、優勝した白鷗大から勝ち点を挙げた。
佐藤「リーグの中で唯一、白鷗大から勝ち点を奪えた。選手にも自信にったのではないか。野手では荒木(陵太・3年・日本文理)が最後にサヨナラ打を打った。打撃では文句なしにリーグを代表する選手になっている。1年生の荒井(朋範・上田西)が長打力も足もある選手で外野手のベストナインに輝いた。坂井翔太(1年・中越)、笠原遥也(2年・日本文理)ら、県内の高校野球で活躍した選手がレギュラー争いに絡んできている。そこがうれしい。エコスタでの試合を見た人から『高校時代にライバルだった選手たちが同じチームで、県外の大学と戦っているのが壮観だった』と感想を言われた。県内から集まった選手、県外から来た選手、それぞれが切磋琢磨し、力を高めてくれている。確固たる1部校としての足掛かりができた。いい秋だった」

秋のリーグ戦で外野手のベストナインに輝いた荒井朋範(1年・上田西)

Q新から主将に任命された横田勝大(3年・横浜商)主将については。
佐藤「最高のキャプテンシーを持っている。自分でもしっかり練習するし、周りにも言える。自分に多少結果が出なくても、鼓舞する力がある。主将としてしっかりやっている。春まで主将だった大藪(将也・4年・上田西)と捕手の柴崎大悟(4年・前橋育英)が自ら学生コーチを名乗り出てくれた。春の最前線で試合に出ていた2人が秋も学生コーチとして残ってくれたのは精神面でも大きかった」

秋から主将を務める横田勝大(左から3番目)
4年生の大藪将也(右端)と柴崎大悟(右から2番目)が学生コーチとして支えた

Q来季への期待は。
佐藤「投手陣では飯塚が抜けるが、桐敷、伊藤の2人を中心に稲垣優斗(3年・日本文理)らの2、3年生が成長してくれば、春はトップにチャレンジできる陣容になる。野手は今季も西野(護・3年・村上桜ヶ丘)、須貝祐次郎(3年・村上桜ヶ丘)ら2、3年生が中心だった。そこに期待の1年生も入学してくるので競争が激しくなるので非常にいい形で入っていけるのではと思う。この秋は優勝争いをできる足掛かりができた。来年は優勝に挑む、初めての年にしてほしい。上武大、白鷗大という上位の中に新潟医療福祉大が入っていけるようにならなければ。飛躍の1年にしたい」

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【お知らせ】12月28日に新潟県出身プロ野球選手による野球教室とイベントを開催します

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新潟野球ドットコムとハードオフ・エコスタジアムの指定管理者であるアルビレックス新潟・都市緑花センターグループは2019年12月28日(土)、新潟市の同スタジアムにて新潟県出身のプロ野球選手が参加するイベント『とにかく新潟野球の日2019』を開催します。

このイベントは新潟県の子どもに夢を持って野球に取り組んでもらおうと2012年から12月に開催してきた新潟県出身プロ野球選手による「小学生野球教室」をパワーアップし、今年から新たに野球ファン向けのイベントも企画・開催します。たくさんの皆様のご参加をお待ちしています。

事業名:『とにかく新潟野球の日2019』(※12月28日にかけました)
主催 :新潟野球ドットコム、アルビレックス新潟・都市緑花センターグループ
協力 :シンプル・ベースボールアカデミー
協賛 :新潟の野球を応援していただいている各社様
場所 :ハードオフ・エコスタジアム新潟 室内練習場と会議室(新潟市中央区)
※野球教室は当日の天候によってはグラウンドで開催
日時 :2019年12月28日(土)9:30~15:30


<第1部> 9:30~12:00
「新潟県出身プロ野球選手による小学生野球教室」
[講師(予定)]
ソフトバンク・椎野新投手(胎内市出身・村上桜ヶ丘高)
ソフトバンク・渡邉雄大投手(三条市出身・中越高・BC新潟)
DeNA・飯塚悟史投手(上越市出身・日本文理高)
DeNA・知野直人内野手(三条市出身・BC新潟)
ヤクルト・鈴木裕太投手(新潟市出身・日本文理高)
元ヤクルト投手・本間忠さん(新潟市秋葉区・日本文理高)

[募集]新潟県内のチーム(軟式)に所属する4年生以上の小学生200人
※チーム単位で申し込み受け付け・1チーム15人程度以内・先着順
[参加費]無料
[申し込み方法]
件名に「野球教室参加希望」と記し、①チーム名②代表者名③代表者携帯電話番号④代表者メールアドレス⑤小学生参加人数、を記入の上、info@niigatayakyu.com までメールにてお申し込みください。参加いただけるチームには後程、新潟野球ドットコムより返信メールを送ります。先着順で募集人数に達した場合、締め切らせていただきますのでご了承ください。


<第2部> 13:00~14:00
「プロ野球を支える新潟県出身の審判員&球場アナウンサーに聞く」
[出演]
NPB育成審判員・川上拓斗さん(中越高校野球部出身)
ヤクルト球場アナウンサー・桑原愛さん(長岡商高校野球部元マネージャー)
[内容]
プロ野球の世界で、選手とは別の「裏方」として試合を支える審判員、そして球場アナウンサーのお仕事内容やどうやったらその職業につけるのか…など、小中学生、高校生、一般の野球ファンの皆さんにもう一つのプロ野球の世界でのお仕事の魅力を知っていただきたいと思います。
[参加費]無料(当日受け付け)


<第3部> 14:15~15:30
「新潟県出身プロ野球選手によるトークショー」
[出演(予定)]
ソフトバンク・椎野新投手(胎内市出身・村上桜ヶ丘高)
ソフトバンク・渡邉雄大投手(三条市出身・中越高・新潟アルビレックスBC)
DeNA・飯塚悟史投手(上越市出身・日本文理高)
DeNA・知野直人内野手(三条市出身・新潟アルビレックスBC)
ヤクルト・鈴木裕太投手(新潟市出身・日本文理高)

[内容]
新潟県出身の5人のプロ野球選手が2019年を振り返り、来季2020年への抱負を語ります。高校時代の思い出話やプロ野球選手になるためにどんな努力を重ねたのか、などいろいろお聞きします。ファンからの質問も受け付けます。

[定員]200名(事前申し込みが必要です)
[参加費]お1人様1000円(税込)
[申し込み方法]
件名に「第3部トークショー参加希望」と記し、①名前②参加人数③メールアドレス、を記入の上、info@niigatayakyu.com までメールにてお申し込みください。後程、新潟野球ドットコムより返信メールを送ります。先着順で募集人数に達した場合、締め切らせていただきますのでご了承ください。


本イベントを開催するにあたって、選手の皆様や所属球団をはじめ、多くの関係者の皆様にご尽力をいただきました。本当にありがとうございます。こちらの準備や調整に時間がかかってしまい、師走のお忙しい中、直前でのご案内となり申し訳ありませんが、できるだけ多くの小学生や野球ファンの皆様からご来場いただき、野球の魅力に触れていただければと思います。よろしくお願いいたします。

(新潟野球ドットコム代表 岡田浩人)

 

【NPB・イベント】新潟県出身5選手が野球教室とファンイベント 審判員と球場アナウンサーがやりがい語る

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新潟県出身のプロ野球選手とOBによる小学生野球教室とトークショーなどのイベント「とにかく新潟野球の日2019」(主催・新潟野球ドットコム、アルビレックス新潟・都市緑花センターグループ 協力:シンプルベースボールアカデミー)が28日、新潟市のハードオフ・エコスタジアムで開催された。

野球教室には県内の小学生約150人が参加し、胎内市出身で福岡ソフトバンクホークスの椎野新投手(村上桜ヶ丘高出身)や上越市出身で横浜DeNAベイスターズの飯塚悟史投手(日本文理高出身)ら現役選手5人と東京ヤクルトスワローズ元投手・本間忠さん(新潟市秋葉区)から基本動作を教わった。また、トークショーにはプロ野球ファン約70人が集まり、現役選手5人が今季を振り返ったほか、来季への意気込みを語った

イベントに参加した左からソフトバンク・椎野新と渡邉雄大、DeNA・飯塚悟史と知野直人、ヤクルト・鈴木裕太の新潟県出身の現役5選手

野球教室は小学生が新潟県出身のプロ野球選手やOBから指導を受けることで、夢を持って野球に取り組んでもらおうと、新潟野球ドットコムが2012年から毎年12月に実施している。昨年は開催できなかったため、今回は2年ぶり7回目の開催となった。

講師として参加したのは今季日本一に輝いたソフトバンクで5勝を挙げた椎野新投手、ソフトバンク育成の三条市出身・渡邉雄大投手(中越高-青山学院大-新潟あルビレックスBC)、DeNAの飯塚悟史投手、同じDeNAで三条市出身の知野直人内野手(新潟アルビレックスBC)、東京ヤクルトスワローズの鈴木裕太投手(日本文理高)の現役選手5人と元ヤクルト投手の本間忠さん(日本文理高)。

子どもたちは2か所の室内練習場に分かれ、キャッチボールやゴロ捕球などの基本動作の指導を受けた。

キャッチボールをする子どもを見つめるソフトバンク・椎野新投手


キャッチボールの動作を指導するDeNA・飯塚悟史投手


女の子に足の使い方を指導するヤクルト・鈴木裕太投手


ゴロ捕球を指導するソフトバンク・渡邉雄大投手


ゴロ捕球の足の運び方を見せるDeNA・知野直人内野手

野球教室終了後、飯塚投手は「子どもたちの元気がよく、すごくいい時間になった」、鈴木投手は「普段子どもたちと野球をする機会がないので楽しい時間になった」、知野内野手は「自分のような選手になりたいと言われる存在を目指したい」と感想を話し、椎野投手は「この中から1人でもプロ野球選手が出てもらえたらうれしい」、渡邉投手は「野球が楽しいという思いをいかして、プロの世界に来てほしい」と期待を寄せた。

野球教室終了後には抽選会が行われ、選手からシーズン中に使用したフリースや手袋、サイン色紙などが子どもたちに贈られた。

椎野投手からは大きなフリースがプレゼントされた


渡邉雄大投手からは手袋がプレゼントされた


飯塚悟史投手からはシャツがプレゼントされた


知野直人内野手からはサイン色紙がプレゼントされた


鈴木裕太投手からは帽子がプレゼントされた


◎5選手がファンと交流 初のトークショー開催◎

イベントでは野球教室の講師を務めた5選手が参加し、ファンと交流を図る「トークショー」も行われ、約70人が5人の話に聞き入った。

トークショーでは5人が今季を振り返り、来季への意気込みを語った

今季について、椎野投手は「一軍の舞台を経験させてもらいよかったが、終盤少し疲れてしまい、ポストシーズンを投げることができなかった。うれしい思いと悔しい思いをした」と振り返った。渡邉投手は「支配下を目指したが椎野ら同期入団の選手が一軍で投げた中で悔しい思いが多かった」と話し、飯塚投手は「春先は今季はいけると手応えがあったが、ケガもあり自分のパフォーマンスが出せなかった。新潟で投げたかったが悔しい思いをした」と唇を噛んだ。入団1年目の知野内野手は「独立リーグとの差を感じた。フォームを変えてから手応えを感じられた」と話し、同じく新人として1年目を終えた鈴木投手は「ファームで結果を出したかったが思うようにいかず、苦しいシーズンだった。秋季キャンプでコーチから付きっ切りで教えてもらいいい感覚になった」と振り返った。

会場となったエコスタは椎野投手と1学年下の飯塚投手が高校時代の2013年夏の新潟大会決勝で戦った思い出の地で、2人が話をするのはそれ以来だという。椎野投手は大学時代に「(高卒でプロ入りした飯塚が)刺激になった。できれば違う球団で同じプロの舞台に立ちたいと思った」と打ち明けた。飯塚投手は「(今季)ソフトバンクが日本一になり、椎野さんが(胴上げに加わって)ワイワイやっているのが羨ましかった」と会場の笑いを誘い、今も互いに刺激を受けている存在であることを明かした。

椎野投手と渡邉投手のソフトバンク組

NPBで「すごいと思った選手は」という質問に、知野内野手は「オープン戦で対戦した楽天の松井裕樹さん。初球の真っすぐは『当たらなくはない』、2球目のスライダーは『打てなくはない』と思ったが、3球目にすごいスライダーが来て、ストライクだと思って振ったらボール球だった。『これは打てない』と思った」と振り返った。

鈴木投手は「村上(宗隆)さん。ロングティーでサク越えを打ち、スイングスピードも速い。仲良くさせてもらっている」と話し、飯塚投手は「筒香(嘉智)さん。チームのことを一番に考え、リーダーシップを発揮していた」と、ともにチームメイトの名前を挙げた。

渡邉投手は「紅白戦で対戦した柳田(悠岐)さんはどこに投げても打たれそうな雰囲気だった。デスパイネ選手と対戦した時は、もしピッチャー返しが来たら反応できないと思うくらいのスイングスピードだった」と驚いた表情を見せ、椎野投手は「西武の山川穂高さん。カーブを膝をつきながらスタンドに運ばれビックリした」と語った。

飯塚投手、知野内野手、鈴木投手も次第に表情が和らいだ

会場の参加者から質問もあり、「これまでくじけそうになった時、どういう気持ちで野球を続けられたか」という問いには、知野内野手が「母親のことを思い出し、しっかりやらなければと思ってきた」と答えた。

最後に来季へ向けた意気込みを各選手が話した。椎野投手は「今年は30試合登板を目標にし達成することができた。来年は50試合登板とポストシーズンで登板することを目標にしたい」と話し、渡邉投手は「来年こそ7月までに支配下登録してもらえるよう頑張る。最終的には日本シリーズで椎野とともに投げ、日本一になれるよう頑張りたい」と力を込めた。

飯塚投手は「開幕ローテを目指し、8月でのエコスタでの3連戦で投げられるように頑張りたい」と話し、知野内野手は「一軍で出場し、8月に飯塚さんと新潟に帰ってきたい」と意気込みを語った。鈴木投手は「ファームで結果を出し、8月の(DeNAとの)3連戦で新潟で投げられるよう頑張りたい」と決意を話し、会場から5人に大きな拍手が送られた。


◎球場アナウンサーとNPB審判員 プロ支える立場のやりがいを伝える◎

イベントでは選手ではない立場でプロ野球の世界を支えている新潟県出身の2人が、その世界の奥深さを語り合った。ヤクルトの球場アナウンサーとして8月に神宮デビューした見附市出身の桑原愛(めぐみ)さん(長岡商高)と、今季からNPB育成審判員としてファームの試合を担当した小千谷市出身の川上拓斗審判員(中越高)の2人。それぞれ“裏方”としての仕事のやりがいや心構えなどを来場者に伝えた。

ヤクルトの球場アナウンサー桑原愛さん(長岡商高) 8月に一軍デビューした

桑原さんは野球との出会いを「父親が野球をやっていて、子どもの頃から家族で野球観戦に出かけていた。高校でマネージャーになった時、選手の気持ちにいかに気づくかを考え、父や兄に相談したこともあった」という。アナウンスに力を入れるきっかけとなった出来事を「1年生の時に最初にアナウンスをした時にうまくしゃべることができず、試合を止めてしまい、泣いてしまった。悔しかった。うまくなろうと思った」と振り返る。その後、「2年生の時に甲子園でアナウンスをしている方の講習を受講した。発声、読み方を教えていただいた。動画サイトで甲子園のアナウンスを聴きながら独学で練習をした」と刺激を受けた。

高校野球を引退後、「高校のOBと話している時に『プロ野球のアナウンスの仕事がある』と紹介していただいた。滅多に募集がなく悩んだが、その道に進もうと決めた」と語る。卒業後、ヤクルトの主催試合で神宮球場の警備や運営を担当する日本総業(東京都)に就職。「1年目はチケット販売、イベント広報…アナウンスだけではない仕事をした」。球場アナウンサーは高校野球のマネージャーが憧れる仕事のひとつだが、「球団によっては球団職員がアナウンスをするところ、アナウンス事務所と契約をしている球団など様々」と内情を話す。

試合では「球場アナウンサーは裏方。試合進行がスムーズにいくよう、聞きやすいように、ゆっくり、元気よくやることを心掛けている」と話す。これまで二軍の試合でアナウンスを担当してきたが、入社8年目の今年8月4日に神宮球場で一軍デビューを果たした。「満員の観客で緊張してしまい手が震えてしまった。一言目を発してから落ち着けた」。今季は一軍で3試合を担当。「先発投手やスタメンに新潟出身の選手がいるとワクワクする。頑張ってほしいと思っている」と笑顔を見せ、新潟県主審選手の名前で投手交代の際のアナウンスを美声で実演し、会場から大きな拍手を受けた。球場アナウンサーの仕事について「1人でも多く新潟の女性がなれたらうれしい」とその道を志そうと思っている人たちにエールを送った。

NPBの川上拓斗育成審判員(中越高) 今季はファームの試合を裁いた

川上審判員は「祖父が野球好きで幼稚園の頃からキャッチボールをしていた」と野球との出会いを話し、「中越高校で3年春と夏に背番号をもらってベンチに入った。3年夏は準々決勝で日本文理に負けたが、飯塚投手を相手に9回に代打で出場し三振した」と選手時代を振り返った。

高校2年夏に「自分たちの代になり、メンバーに入れるかどうかと思っていた夏の練習中、利き腕の左手の中指を骨折した。その時に本田(仁哉)監督から記録員に指名され、ベンチで監督の脇に座った時、野球を今までと違う角度で見ることができた。その後、審判をやった時に面白いと思うようになった」と審判員という仕事に興味を持ったきっかけを話す。

高卒後の2015年春からルートインBCリーグで本格的に「審判員」の仕事を学んだ。各地の公式戦で審判を務め、試合がある日以外はスポーツ店でアルバイトをする生活を過ごした。その後、毎年12月に実施される「NPBアンパイアスクール」を受講。BCリーグ審判員として3年目のシーズンが終わった2018年2月にNPBと「研修審判員」として契約した。2018年シーズンはNPBから派遣される形でBCリーグの試合を担当し、実戦経験を重ねた。そして同年12月にNPBの「育成審判員」に昇格し、今季はファーム戦を担当した。

野球教室では子どもたちの前で審判員のジェスチャーと声を披露 高校時代のライバルだった飯塚投手と“共演”した

審判員の仕事は「1年契約」で、現在の育成審判員としての身分は「一軍の試合を裁けると判断されれば晴れてNPBの『正審判員』として契約できるが、3年以内に見込みがないと判断されればクビになる」と厳しい世界であることを強調。「エコスタに凱旋できるのも10年くらいかかるかもしれない」と話した。

審判員として必要な力を「即決できる力」と話し、「ファミレスに審判員同士で行くと5秒で注文が決まる」と会場を笑わせた。「選手も一球一球で年俸が変わる。自分たちも1つ1つのジャッジに命をかけている」と仕事のやりがいと心構えを話し、今後について「高校時代に行けなかった甲子園でジャッジしたい。最高峰の日本シリーズでも裁きたい」と夢を語った。

(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/頓所理加)


今回のイベント『とにかく新潟野球の日2019』を開催するにあたり、その趣旨にご賛同いただき、ご協賛をいただきました新潟県内の各企業・団体の皆様にこの場をお借りして御礼を申し上げますとともに、ここにご紹介をさせていただきます。

◎『とにかく新潟野球の日2019』ご協賛社、団体◎
・旬食・ゆ処・宿 喜芳(長岡市)http://www.kihou.jp/
・越後名物笹だんご 田中屋本店(新潟市江南区)
http://www.dangoya.com/
・(株)サンウッドビーピー(新潟市)
http://www.sunwood-bp.jp/
・BSN新潟放送(新潟市中央区)
https://www.ohbsn.com/
・(株)エヌエスアイ(新潟市東区)
http://www.nsi.jp/
・TM共同法律事務所(新潟市中央区)http://tmkyodo.com/
・ワイナリー&レストラン フェルミエ(新潟市西蒲区)
https://fermier.jp/
・金子薬品(田上町)
(医)野田歯科医院(新潟市西区)
・新潟県出身のプロ野球選手を応援する会
・男前飛雄馬・総本店(長岡市)
https://www.facebook.com/otokomaehyuumasouhonten/

ご参加いただきましたチームの皆様、運営などにご協力をいただきました皆様に感謝申し上げます。また開催の趣旨に賛同いただき全面的なご協力をいただきました椎野新投手、渡邉雄大投手、飯塚悟史投手、知野直人内野手、鈴木裕太投手、本間忠さん、川上拓斗審判員、桑原愛さんに御礼申し上げますとともに、今後の益々のご活躍を祈念したいと思います。ありがとうございました。

新潟野球ドットコム 代表・岡田浩人

【NPB】ソフトバンク元投手の星野順治さんが野球教室

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福岡ソフトバンクホークスの元投手で燕市出身の星野順治さん(45・新潟商高出身)を招いた野球教室が30日、新潟市西区の新潟国際情報大学体育館で行われた。西蒲区巻地区の4チームから30人の小学生が参加し、キャッチボールの基本動作やピッチング、バッティングの指導を受けた。

小学生に投球動作の基本を教える星野順治さん

星野さんは1974年生まれで燕市(旧吉田町)の出身。新潟商業高校を卒業後、社会人野球のNKKを経て、1997年にドラフト4位で福岡ダイエーホークスから指名を受けて入団。1999年には先発投手としてローテーション入りし10勝を挙げ、チームのリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。プロ通算156試合に登板し50勝を挙げ、2008年に現役を引退した。現在はソフトバンク編成育成本部のスカウト育成部で「育成担当ディレクター」を務め、二軍と三軍の若手選手の育成にあたっている。

野球教室は星野さんの新潟商業高校時代の1学年先輩・山賀茂さん(46・新潟コンマーシャル倶楽部コーチ)が旧巻町出身だった縁で始まり、毎年年末に星野さんが帰省するタイミングで行われている。

星野さんはキャッチボールで大事な基本を「ボールの握り、真っすぐ足を踏み出すこと、頭を前に突っ込まないこと」の3つだと強調。投手の指導では1人ひとりに声を掛けながら身振りを交えて指導した。また打撃指導は山賀さんが担当し、ティー打撃でアドバイスを送った。

記念撮影 前列右から6番目が星野さん その左隣が山賀茂さん

ピッチングの指導を受けた巻北小5年の西脇輝真(てるま)さん(11)は「足の位置など知らなかったことを教えてもらった。プロの世界で成績を残している人なので分かりやすかった。将来はプロ野球選手になりたい」と笑顔で感想を話した。

野球教室終了後、取材に応じた星野さんは「毎年楽しみにしている教室で、顔を覚えている子もいて1年ごとに子どもたちは成長している。少しでもホークスにも興味を持ってもらえればうれしい」と感想を述べた。同じソフトバンクで胎内市出身の椎野新投手(村上桜ヶ丘高出身)と三条市出身の渡邉雄大投手(中越高出身)について「椎野くんは今季一軍で5勝し、来年はさらに戦力になってくれると思う。渡邉くんも左サイドで特徴がある投手で、なんとか支配下登録になり一軍の舞台で投げてくれれば」と期待を寄せた。

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【回顧2019】指揮官に聞く②日本文理高・鈴木崇監督

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今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう「回顧2019」。第2回は高校野球で今夏の新潟大会を制し、監督として初めて甲子園で指揮を執った日本文理高の鈴木崇監督(39)に話を聞いた。昨秋、今春、今夏と県大会を制し、甲子園では1回戦で関東一高(東東京)に敗れたものの6対10と善戦した。2年生レギュラーを多く抱え、秋の県大会でも選抜甲子園出場を期待された。しかし県大会初戦となる2回戦で東京学館新潟に敗れ、実に32年ぶりとなる初戦敗退を喫した。“天国と地獄”を味わった指揮官が今季を振り返り、来季に向けたチームの現状を語った。

冬季練習中のグラウンドで、今季を振り返る日本文理高・鈴木崇監督

Q今季を振り返って。
鈴木監督(以下鈴木)「シーズンを通して振り返ると、日本文理としては去年夏の4回戦敗退からの這い上がりだった。私よりも選手たちが周りのいろいろな声を吸収しながら、自分たちの立ち位置を確立して力にしていった。監督として初めて甲子園に出場したというよりも、日本文理として夏10回目の甲子園出場ができたことがよかったと考えている」

Q夏の新潟大会は一戦ごとに強さを増していった。
鈴木「パズルのピースに例えると、(去年秋にケガをした)エースの南(隼人)という絵の“中心”が出てきたことが一番よかった。春は南抜きでの戦いの中、中心がない中で絵を描きながら優勝できたが、そこに夏は南という最後のピースがはまった。対戦相手も新発田中央からスタートして、新潟県央工、長岡商と、一戦一戦いい内容でクリアでき、準々決勝以降の試合に臨むことができたのも大きかった」

夏の新潟大会優勝を決め、長坂陽主将(右)と握手

Q監督としての初めての甲子園での采配を振り返って。
鈴木「試合までの体調管理や大阪での過ごし方は、これまでの先輩たちという教科書があり、暑さ対策も経験があった。試合前までは万全の状態でいけた。ただ、試合の中での興奮度というか、調子がいい悪いというよりは南が甲子園に飲まれたのかなという感じが出てしまった。1回に先制した有利さが感じられないまま、すぐに追いつかれ…その後、3ボール0ストライクから本塁打を喫した。本塁打という結果だけでなく、思い切りという意味合いで、走る姿、打つ姿が関東一高にはあり、逆に教えられた。ウチがやらなければいけないことが見えた試合だった」

Q選手としての甲子園(1997年夏)と、監督としての今回の甲子園はどう違った。
鈴木「まるまる1試合を見ることができたのが初めてだった。(というと?)今までコーチ時代は試合前にノックを打つ、グラウンドを出る、(バックネット裏などで)挨拶に回る…スタンドに戻ってくる頃にはだいたい3回くらいが終わっていた。プレイボールから試合終了まで、甲子園での日本文理の試合を見ることが(選手時代以来)初めてだった(笑)。よく『甲子園だからという戦い方はダメ』と言われるが、前回出場時(2017年夏)は鈴木裕太(現・ヤクルト)を先発に持っていった大井監督(現・総監督)もそうだが、『甲子園だから』という戦い方も用意しておかなければいけないということも感じた。今回、ウチは(新潟大会)決勝そのままのオーダーでいったが、関東一高は柔軟だった。甲子園で戦い方を変えるという意味ではなく、そういうバージョンも頭に持ち合わせた方がいいと感じた」

Q甲子園後の新チームは選抜甲子園を目指した中、秋の県大会初戦(2回戦・東京学館新潟)で5対7で敗れた。
鈴木「今までもOBたちは秋の戦いは苦戦した中でも勝ち上がり、北信越での戦いを繰り広げてきた。この選手たちに関しては公式戦1試合目で、2回の4失点というのが大きかった。そこから追いつけずに負けた。夏の甲子園と一緒だったが、満塁機で1点しか取れなかったところが課題。最少失点と最大得点はゲームをやる上での基礎。公式戦を1試合しかできなかった中で、見つかった課題を練習中にどう落とし込もうか考えながら冬の練習をやっている。まずは投手の確立から」

選抜甲子園出場を目指した新チームは秋の県大会初戦で敗退、出直しを誓う

Q秋に背番号1を背負った種橋諒投手は秋以降フォームを見直す中で143キロを計測した。
鈴木「種橋はこの1年間、体力づくりという面では、春はベンチに入らず、秋に向けての練習を重ねていた。夏にベンチ入りして登板経験を積み、甲子園では登板機会がなかった中、6月から8月にかけての体力づくりがまだまだだった。秋に背番号1として先発したがスタートでくじいた形になってしまった。ただ、敗戦後は練習試合でバッテリー間のコミュニケーションが増えたと、前向きにとらえている」

Q来夏2連覇を目指すチームにとって、試練の冬となる。
鈴木「今の2年生は45人という大所帯。この人数でまとまりを持って試練を乗り越えるのは大事。その一歩目ができた敗戦後の9月、10月だった。この夏は20人の3年生がまとまったことを、後輩の2年生45人が見ていた。秋の結果を受け、ウチの課題は点数を取ることや(優勝した)北越や(初戦で敗れた)東京学館新潟に勝つこと、の手前だったのではないかということを突き付けられた。試合で力を発揮できなかった…それをもう一度繰り返さないための冬は地盤づくり。自分自身も監督としてまだ足りない部分がある。コーチ時代から選手と一緒にやってきたが、それを“指揮”として選手を動かす立場の明暗が一気に出ている感じがする。この経験が日本文理にとってよかったんだと来年夏に言えるようにしたい」

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【回顧2019】指揮官に聞く③北越高・小島清監督

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今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう「回顧2019」。最終回の第3回は高校野球で今秋の新潟県大会で8年ぶりに優勝し、北信越大会で2勝を挙げベスト4進出を果たした北越高の小島清監督(44)に話を聞いた。今季の北越は春ベスト4、夏ベスト8、秋は優勝で北信越ベスト4と県内の高校で最も多くの公式戦を戦った。就任11年目。初の甲子園出場へ、「まだまだ成長できる」と今冬のチームの成長に期待を寄せている。

今季を振り返る北越高・小島清監督

Q今季は県内チームの中で最も多くの公式戦を戦った。
小島監督(以下小島)「去年秋は初戦敗退(東京学館新潟にコールド負け)をして、疑いながら入ったシーズンだった。春から夏にかけてチームは成長できたが、夏の準々決勝で負けてしまい、やはり悔しい思いはある。ただ、秋は想像以上に行くことができた。3年生の代は投手陣のバリエーションがあったが、新チームは主将でエースの阿部(柚士郎)を中心とした戦い方一択で迷いはなかった。一戦ごとにチームが成長してくれた。公式戦をたくさん経験できたことはチームにとって財産になった」

Q春はベスト4で、優勝候補の一角として夏を迎えた。
小島「夏は準々決勝の糸魚川戦(1対2で敗戦)が一番の山場と思っていた。左の渡辺(勝誠)くんへの対策を万全にして試合に臨んだ。先制した後に伊藤(想)くんの本塁打で追いつかれ、ペースが掴めなかった。後悔があるとするとあの日の過ごした方。3年生たちは一生懸命練習するメンバーだったので、午前中に学校でしっかり打ちこんで第4試合に入った。そこをやり過ぎかなと思うくらい練習して試合に入ったが、今振り返るとそこをもっと自分が抑えろと言えればよかった。試合では打撃が重かった。熱中症になる選手もいた。コンディショニングには十分気をつけていたが、そこに後悔がある」

Q秋の新チームがスタートした時の手応えは。
小島「新チームは引っ込み思案の2年生たちが多く、控えめでおとなしかった。なかなか主将が決まらず…真面目だが互いに本音で話せない部分があった。そこで阿部に『おまえがやるしかないだろう』と言った。阿部は前チームの敗戦時も最後に投げて、一番泣いていた選手。先輩たちの意思を一番受け継いでいるのは阿部だろうなと思っていた」

主将、エースとして秋活躍した阿部柚士郎投手

Q秋は阿部投手の成長が大きかった。
小島「3年生の先輩たちがいる時は、短いイニングを力任せに放っていたが、自分が主将になり、チームのことを考えて投げるようになって、力を入れたり、抜いたり…投球の幅が広がった。秋4回戦の関根学園戦では力んでしまったが、次の試合はいい投球ができた。修正能力が高くなった。チームにとっては主将の阿部を助けようという雰囲気が生まれてきた」

Q秋は日本文理、新潟明訓、中越と、ここ10年の甲子園常連校が敗退していった。
小島「負けられないというプレッシャーは、なかった。決勝(新潟産大附戦)も初回から主導権を握ることができた。最近実感していることがあり、余力を残しながら勝ち上がって行くとチーム力が上がらない。その都度出し切っていかなければ力がつかない。秋は4回戦で関根学園、準々決勝で長岡工、準決勝で加茂暁星、決勝で新潟産大附…1つも気を抜けなかった。チームは一戦ごとに強くなっていった」

8年ぶりに秋の県大会を制した北越 一戦ごとに力強さを増していった

Q今夏は東京学館新潟が準優勝、秋も新潟産大附が準優勝、加茂暁星が3位…甲子園初出場を狙う私立校の競争が激しい。
小島「新潟県のレベルは上がっていて勝ち上がることはたやすいことではない。そこを勝ち上がることを視野に入れると、北信越でも通用するチームを作って行かなければクリアできない。自分の中での大きな変化は、今までは自分たちに『欠けているもの』『足りない部分は何か』を考えてきたが、そう考えるのははやめた。ここ2年くらいのこと。100点が満点で自分たちが何点足りないかと考えるより、秋が100点だったとすると、春には200点、300点、夏には500点のチームにしたいと考えるようになった。『もっとスケールの大きなチームを作っていきたい』と考えるようになった。それで自分の軸が定まった。ダメな部分を潰そうとするとそこに終始して、何も改善できずに終わっていた。今年の夏に向けても、負け惜しみに聞こえるかもしれないが、自分では春ベスト4からチームの力は伸びていったと思っている。結果としての甲子園という結果はついていないが、夏が頂点のチームづくりはここ2年くらいできている手応えがある」

チームを率い11年目の小島監督 初の甲子園へ「まだまだ成長できる」と話す

Q北信越では惜しくも準決勝敗退、ただ、大きな経験となった。
小島「北信越も県大会と同じで、次の試合のことは考えなかった。一戦一戦だった。県外の1位校、代表校と試合をして、まだ乗り越える先を見ることができたのはいい経験だった。要は100点の先…県大会優勝が100点だったと仮定すると、200点、300点がどういうものなのかが分かった大会だった」

Q来季へ向けた意気込みを。
小島「秋はあれだけの短期間で成長することができた。ここからも歩みを止めることなく、試合をやりながら、他のチームが追いつけないくらい成長したい。まだまだできることがたくさんあり、例年以上に伸びしろはたくさんある」

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【NPB】「来季は一軍でプレーを」 西武・綱島が母校・糸魚川白嶺高を訪問

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糸魚川市出身で埼玉西武ライオンズの綱島龍生内野手(19)が24日、母校の糸魚川白嶺高校を訪れ、野球部の恩師である丸山卓真監督らに挨拶した。ファームで経験を積んだ2年目の今季を「レベルアップできた」振り返り、来季の目標として「二軍で打率3割以上打ち、一軍に呼ばれるよう頑張りたい」と活躍を誓った。

母校を訪れた西武・綱島龍生内野手(右) 左は恩師・丸山卓真監督

綱島は糸魚川白嶺高校出身で、2017年秋のドラフト会議で6位指名を受け西武に入団した。2年目の今季はファームで68試合に出場、198打数43安打で打率・217、打点13、盗塁4の成績を残した。オフで地元・糸魚川市に帰省。母校に挨拶に訪れ、報道陣の取材に答えた。(以下、主な一問一答)

Q今季を振り返って。
綱島内野手(以下綱島)「打率などの数字は満足いくものではなかったが、1年目の昨季に比べると試合にたくさん出て、いろいろな経験をし、学ぶことがあり、レベルアップできた手応えはある。直球に力負けすることなく打てるようになった。守備も自然体で守ることができるようになった」

Q具体的に成長できた部分は?
綱島「シーズン途中で打撃の構えやスイングを変えていったが、(秋の)フェニックスリーグでいい感覚を見つけることができた。自分に合ったフォーム…ボールの見方、対応の仕方を平尾(博司)二軍打撃コーチと話しをしながら見つけることができた。構えやフォームを試行錯誤した。守備でもフェニックスで初めて二塁手を経験した。チャンスがあるならばどこでも守りたい」

Q本来は11月から始まった台湾のウインターリーグに参加する予定だったが、ケガでキャンセルとなった。
綱島「秋季キャンプの中盤、ノック中に右足首をひねってしまった。靭帯を痛め全治1~2か月と言われた。今はジョグまでできるようになった。2月の春季キャンプに間に合えばと考えている」

Qパ・リーグ連覇をした選手層の厚い西武で、どう一軍に挑む?
綱島「一軍でプレーする人たちを見ると打撃がすごい。自分としては打撃も、守備も、レベルアップしたい。走塁では今季三塁打も打てた。1年間を通して長打を打てるようになりたい。身長178センチは変わっていないが、体重は80キロ前後。もう少し増やしたい。ウェートトレーニングもやっている。本塁打を求められているわけではないが、二塁打、三塁打を求められている」

今季はファームで68試合に出場、打率・217、打点13、盗塁4の数字を残した

Q久しぶりの母校訪問でどんな気持ち?
綱島「懐かしい。会う人、会う人に励まされるので頑張らなければと思う」

Q来季への意気込みを。
綱島「一軍に上がるためには二軍で打率3割以上を打たなければいけない。そこを目指して頑張って、一軍に呼ばれるように頑張りたい。(ドラフトなどで)選手の入れ替えもある。負けないように、自分の強みをアピールしたい。糸魚川大火の後、市民の皆さんが復興へ向けて頑張っている。自分も野球で頑張り、一軍に上がることが市民の皆さんに頑張ろうという気持ちを与えられるのかなと思っているので、一軍を目指して頑張りたい」

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【小中学硬式】今季の安全と必勝を祈願 新潟西シニアは選抜へ意気込み 新潟少年硬式野球連盟

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新潟少年硬式野球連盟に所属するリトルリーグとリトルシニアリーグによる合同の必勝祈願が5日、新潟市の白山神社で行われた。新潟市内のリトル2チームとシニア5チームの計7チーム約200人の選手とチーム関係者が今季の安全と各大会の飛躍を祈願した。

必勝祈願をする新潟市内のリトルリーグ、リトルシニアリーグの選手たち

毎年新年に行われる恒例行事で、チーム関係者が神前に玉ぐしを捧げ、選手たちは二礼二拍手一礼で必勝を祈願した。

参加したチームのうち、新潟西シニアは昨秋の新潟ブロック新人大会で優勝。その後の信越大会でも各地区の優勝チームに連勝して信越1位となり、今年3月に大阪市で開催される全国選抜大会への出場が確実視されている。チームは2月に仙台遠征、3月に関東遠征で実戦練習を重ねる予定。

3月の選抜大会への出場が確実視されている新潟西シニア

新潟西シニアの渡部斡(はる)主将(14・坂井輪中2年)は「秋はうまく打線がつながり、投手陣の特に二番手以降が頑張ったおかげで優勝できた」と振り返り、「自分たちは守備からリズムをつくり、攻撃につなげる野球。守備を強化したい。まだ力が足りないので、冬の練習を1人1人が意識を高く取り組んでいる。日本一を目指して頑張りたい」と力を込めた。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【NPB】韮澤「ケガしない体づくりを」、鈴木「ファームで結果出し一軍に」 出身の新潟シニアで飛躍誓い合う

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魚沼市出身で広島東洋カープにドラフト4位で入団する韮澤雄也内野手(18・花咲徳栄高)と新潟市出身で東京ヤクルトスワローズで入団1年目のシーズンを終えた鈴木裕太投手(19・日本文理高出身)の2人が、このほど中学時代に所属した中学硬式野球の新潟シニアに挨拶のために訪れた。プロ入り1年目となる韮澤は「まずはケガをしない体づくりを」と掲げ、2年目となる鈴木は「ファームで結果を出し、一軍登板したい」と2020年シーズンの飛躍を誓い合った。

飛躍を誓い合った広島・韮澤雄也(左)とヤクルト・鈴木裕太

取材に応じた鈴木投手、韮澤選手の主な一問一答は以下の通り。

Q鈴木投手は新人として1年目を振り返って
鈴木裕太投手(以下鈴木)「ケガをしないようにと考え、シーズン前もトレーニングしてきたが、シーズン後半でバテてしまった。シーズン入った後も状態はよく、出だしはよかった。(2軍デビュー戦で)自己最速の152キロが出て、最初はずっと0で抑えることができた。その後、相手打者に頭部死球を与えて調子を落とし、8月くらいから右肩に違和感もあり、思い切り投げても球がいかなかった。シーズンを通してしっかり戦い抜くことの大変さ、体づくりの大切さを感じた。ただ自分の投球ができれば抑えられると分かり、そこは自信になった」

Q韮澤選手は入団発表も終わり心境は
韮澤雄也選手(以下韮澤)「最初はあまり実感が沸かなかったが、今はプロとしてやらなければという気持ち。(ユニフォームを着て)袖を通す重みを感じた。周りからは似合っていると言われた。(先輩である鈴木の話を聞いて)ケガをしないことが一番大事だと感じた。まずは1年間戦っていく体力をつくらなければ」

Q1年前に先輩で鈴木投手がが先にヤクルト入りした時はどう見ていた?
韮澤「すごいなと思った。中学時代から速かったが、(高校で)150キロを投げて成長しているんだなと思った。守っている側からしたら安心する投手」

Q1年後に後輩がドラフト指名されて
鈴木「(新潟シニアの)自分たちの代は点が取れないチームだったが、1対0などの1点差ゲームで勝ち上がっていった。(2年生の)韮澤が上位で、『打ってくれるんだろうな』と思っていたし、守備でも安定していたので頼りになる後輩だった。(ドラフト会議の時は)フェニックスリーグで宮崎にいた。いつ呼ばれるのか気になっていた」

新潟シニア時代の鈴木 140キロ超の直球を投げ込む本格派として知られた


新潟シニア時代の韮澤 堅守・強肩・巧打の三拍子揃った遊撃手だった

Q中学時代はお互いどんな存在だった?
韮澤「普段はおっとりしているが、マウンドに行くと人が変わって負けず嫌いになる(笑)」
鈴木「そんなに変わった?」
韮澤「話しかけづらい時があった(笑)」
鈴木「また韮澤と同じチームでプレーしたい気持ちもあるが、今は別のチーム。一軍で対戦したい」

Q新潟シニアでの3年間はどんな場所だった?
韮澤「泉(貴之)監督とは新潟南リトル時代のコーチで小学校から一緒にやってきて、ずっと『プロを目指せ』と言われてきた。魚沼から新潟市までやってきてよかった」
鈴木「小学校時代は無名だったが、新潟シニアで1~2年生の時に湊元正明監督(現・総監督)のもとでレベルアップでき、2年冬から泉監督のもとで自分が変わることができた。最初に会った時に『140キロを目指せ』と言われ、プロに行けると言われ意識するようになった。泉監督と出会わなければここまで成長できていない。感謝しかない」

左から湊元正明総監督、韮澤、鈴木、泉貴之監督

Qこのオフはどう過ごす予定?
鈴木「今までは走って、ウェートをして、という形だったが、そこに体の使い方についてヤクルトで投手コーチから言われてきた。『いい球はあるので、その確率を上げれば一軍で通用する』と言われた。そのためにこのオフは体の使い方のトレーニングを意識して続けている。1月10日から栃木で自主トレをする予定」
韮澤「12月に地元に帰るまで、ギリギリまで後輩たちと学校で練習してきた。1月7日に(広島の寮に)入寮し、8日から新人合同自主トレに入る」

Q2020年シーズンの目標は
韮澤「1年目はケガをしない体づくりを重点的に。先輩の球を見たり打席に立ったり、プロの球質や変化球を見て、今持っている自分の力を出して勝負、勉強したい。3年目、4年目に一軍に入りたい。将来的には首位打者を獲りたい」
鈴木「ケガをしない1年にしたい。ファームでしっかり結果を出し、少しでも一軍で登板できるようにしたい。新潟でも(8月に)3連戦あるので、そこで一軍に上がり、新潟で投げられるようファームで結果を出したい」

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【大学野球】関東一高の“スピードスター”大久保が新潟医療福祉大入り 日本文理・南と「神宮目指す」

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大学野球の関甲新学生野球連盟1部に所属する新潟医療福祉大に、昨夏の甲子園で活躍した東東京代表・関東一高の一番打者・大久保翔太外野手(18)が入学する。関東一高は1回戦で新潟代表の日本文理高をくだし、その後ベスト8に進出。その日本文理高のエース・南隼人投手(18)も同大に入学する。11日に行われた新入生説明会に出席した2人は笑顔で握手を交わし、チームメイトとして神宮球場で開催される全国大会への出場と活躍を誓い合った。

今春の入学が決まった日本文理高・南隼人(左)と関東一高・大久保翔太

新潟の冬空にしては珍しい青空が茨城県出身の大久保を歓迎していた。「ワクワクしている」と率直に今の気持ちを表現した大久保。昨夏の甲子園1回戦で日本文理と対戦し、50メートルを5秒7で駆け抜ける驚異的な俊足で初回からダイヤモンドを駆け抜け、新潟の高校野球ファンにも鮮烈な印象を与えた。

「高校で野球は一区切りし、将来は理学療法士など医療系の仕事につきたいと考えていた」。そう語る大久保が新潟の地を訪れたのは去年6月。新潟医療福祉大の練習に参加した際、「選手の明るい雰囲気に胸を打たれた」という。

その後、東東京大会で優勝し、甲子園では1回戦で日本文理と対戦。1回の先頭打者としてバントヒットを決めるなど俊足を武器にダイヤモンドを駆け抜け、ベスト8に進出したチームをけん引した。「甲子園に行ってから野球が楽しくなった。もう少し自分の足をいかした野球を楽しみたい」と大学での野球継続を真剣に考えるようになった。甲子園での活躍から強豪大学からの誘いもあったが、「勉強と野球の両立ができる大学として新潟医療福祉大でやってみたいと思った」と進学を決めた。

笑顔で活躍を誓った大久保

その関東一高戦で先発した日本文理の南は「地元でやりたいと思っていた」と新潟医療福祉大への進学に迷いはなかった。甲子園で対戦した大久保とチームメイトになることを知り、「まさか(大久保が)いるとは思っていなかった。いやらしい打者で抑えるのが難しかった」と振り返る。

大久保も甲子園で対戦した南へ特別な思いを持っている。「甲子園では4試合戦ったが、南投手ほどいい投手はいなかった。制球力、小さな変化球…一番印象的だった」。大久保が「一緒に野球をやれると思うとワクワクする。まだ先のことだが、南投手が投げ、自分がセンターを守りたい」と今後について話せば、南も「力強い仲間。一緒に神宮に出場して日本一を目指したい」と大学での飛躍を誓い合った。

新入生説明会であいさつする新潟医療福祉大・鵜瀬亮一監督

11日の新入生説明会では、鵜瀬亮一監督が「新潟県や野球界から必要とされる野球部になっていくため、一緒になって全員が成長してほしい」と激励した。

新潟医療福祉大の硬式野球部には11日時点で38人の新入生の入学が決まっている。そのうち県内出身の選手・マネージャーは16人。昨夏の新潟大会でベスト4進出を果たした渡辺勝誠(糸魚川)、ベスト8進出の菅井道(中越)、ベスト16進出の目黒宏也(長岡商)の期待の“サウスポートリオ”が入学する。

昨夏の新潟大会で活躍した県出身サウスポートリオ
左から渡辺勝誠(糸魚川)、菅井道(中越)、目黒宏也(長岡商)

◎新潟医療福祉大の県内高校からの新入生◎
※1月11日現在
<投手>
白勢悠貴(加茂暁星)
菅井道(中越)
町屋駿(新潟商)
南隼人(日本文理)
宮澤俊斗(新潟工)
目黒宏也(長岡商)
渡辺勝誠(糸魚川)

<捕手>
白崎了宇(新潟商)
西川嵩峰(十日町)

<内野手>
小林健人(北越)
高野蓮(新潟明訓)
高橋哲也(北越)
高橋都夢(開志学園)
藤原人和(開志学園)

<外野手>
岡山太陽(中越)

<マネージャー>
吉田俊介(北越)

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【大学野球】鵜瀬監督「春から優勝狙う」 新潟医療福祉大が初練習

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大学野球の関甲新学生野球連盟1部に所属する新潟医療福祉大が7日、新潟市北区にある同大の屋内練習場で初練習を行った。先月就任した鵜瀬亮一監督(39)が「優勝を狙って春からやっていきたい」と部員に今季の抱負を語り、新監督として昨秋のリーグ戦4位からのさらなる飛躍を誓った。

初練習で部員に今季の目標を語る鵜瀬亮一監督(中央) 写真左端は佐藤和也総監督

初練習を前に鵜瀬亮一監督が部員にあいさつし、「新潟の地にこれだけ多くの部員が集まってくれているのは、この野球部が野球だけでなくいろいろな価値観を持っている『豊かな』野球部だからだと思う。年間を通して子どもたちへの野球教室をやったり、これからの野球界を背負う指導者の育成をやっている。単に強いだけでなく新潟県に必要とされる集団になりつつあるから」と野球部の存在意義を語り、「佐藤総監督が作り上げた環境を益々発展させられるように力を合わせてやっていきたい」と新たな年の目標を掲げた。

その上で「リーグ戦、新人戦、オータムカップで一生懸命戦い、これまでの歴史を塗り替えたい。監督として初シーズンで分からないことはあるが、経験不足や若さを言い訳にして春のシーズンを戦うことは佐藤総監督や学生に失礼。優勝を狙って春からやっていきたい」と力強く意気込みを語った。

佐藤和也総監督は「総監督になり、1つは今まではAチームの40人の指導が中心だったが、Bチームも含め170人余りにアドバイスする立場をやっていきたい。もう1つは球数制限や働き方改革を含め、今までの指導が難しくなり、指導者が少し自信を失っているが、世の中に出たら『指示』はあるが『指導』はなくなる。最後に指導をしてもらえる場所が大学だと思う。この大学で武器を持ち、胸を張って世の中に出ていける時間を過ごしてほしい。世の中が弱腰になっているが、自分自身が力をつけなければいけない。残りの時間で大学生活を実り多いものにすることは可能」と呼びかけた。

打撃練習をする副主将の荒木陵太(3年・日本文理)

その後、部員たちは3班に分かれて練習を開始。打撃練習で快音を響かせた中心打者で副主将の荒木陵太(3年・日本文理)は「最高学年として個人としてもチームとしても成績を残さなければ(卒業後も)上でプレーできない。例年とは違う気持ち」と話しながらも、「第一にチームの勝利に貢献したい。春は投手陣の仕上がりもあり、毎年上位の白鷗大、上武大に打ち勝たなければ。新監督になり打順がどこになるかわからないが、やることは変わらない」と力を込めた。

チームはAチームが2月末から3月上旬まで佐賀県でキャンプを行い、オープン戦などで実戦感覚を養い、4月開幕の春季リーグ戦に備える。


◎フォーム改造でラストイヤーに懸ける大型左腕・バンゴーゼム◎

ラストイヤーに臨む3年生の中で、首脳陣が「化けてほしい」と期待を寄せるのが左腕のバンゴーゼム高(3年・帝京長岡)である。12月上旬にはこの時期では異例となる4日間の「宮崎合宿」を敢行し、現地でトレーナーなどから体の使い方などの指導を受け、フォームの見直しを図った。

ラストイヤーでの飛躍が期待されるバンゴーゼム高(3年・帝京長岡)

バンゴーゼムは帝京長岡高校3年時にエースとして夏の新潟大会でベスト8に進出。185センチ88キロの大型左腕として新潟医療福祉大入学時から期待を集めてきた。ただ、これまでは左ひじの使い方や体重移動などに課題があり、公式戦では3年となった昨春のリーグ戦で2試合の登板にとどまる。2回を投げ被安打1、四死球2、奪三振2、自責点0の数字が残っている。

今回の宮崎合宿は著名なトレーナーなどから体の使い方などについて指導を受けた。バンゴーゼムは「チューブやバランスボールを使ったトレーニング、足の運び方などフォーム改善につながるとレーニングを行ってきた。普段使っていない部分を鍛えることができ、特に足の裏が疲れた」と振り返る。足の使い方に工夫がみられるフォームとなり、課題の制球にも一定の手応えを掴んだ。投球練習では140キロ台中盤の直球を投げ込むことができるようになった。

左腕から投げ込む力のある直球が武器。フォーム改善でさらなる飛躍が期待される

全国高校サッカー選手権で帝京長岡の後輩たちが準決勝に進出し、その活躍に胸を躍らせている。「(サッカー部の)古沢徹監督は2年間担任だった。後輩たちの頑張りは刺激になる」と語る。

大学野球もあっと言う間に最終学年に突入する。「最後はやるしかない。(宮崎合宿で)教えてもらったことを公式戦で出せるようにしたい。今は気持ちが充実してワクワクしている。目標はわかっていても打たれない直球を投げ込むこと。優勝を目指して頑張りたい」。キャンプ、オープン戦で成果を発揮し、リーグ戦で自信を持って真ウドに登るつもりだ。

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【高校野球】日本文理・長坂陽前主将を優秀選手表彰 日本学生野球協会

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日本学生野球協会の2019年度の優秀選手に、新潟県から日本文理高校3年・長坂陽(ひなた)前主将(18)が選出され、その表彰式が22日、新潟市西区の同校で行われた。新潟県高野連の富樫信浩会長から記念盾を手渡された長坂前主将は「自分1人だけではこの賞をもらうことができなかった。仲間に感謝したい」と受賞を喜び、「将来は指導者を目指し、甲子園を目指す選手に少しでもいい影響を与えられる存在になれれば」と夢を語った。

記念盾を手渡される日本文理・長坂陽前主将(左から2人目)

長坂は二番打者・遊撃手として活躍。昨夏の新潟大会では主将としてチームを引っ張り、2年ぶり10回目の夏の甲子園出場に貢献した。記念盾を受け取った長坂は「素直にうれしい。自分は代表として賞を受け取った。自分1人だけではこの賞をもらうことができなかった。仲間に感謝したい」と感想を述べた。

夏の甲子園出場から5か月が経過したが、「今でも(初戦で)関東一高に負けたことが忘れられない。勝ちたかったという思い、もっと仲間と野球がしたかったという思いが残っている」と悔しさを隠さない。その上で日本文理で過ごした3年間を振り返り、「1年生の時は(2学年上の)3年生の力がすごくて、自分たちもあのくらいの力をつけたいと思った。自分たちが3年生になり、今の1、2年生が、また自分たちを目指して文理をつないでくれればと思う。自分が顔を知らない次の新1年生にも文理をつないでほしい。『全国制覇』を成し遂げてくれることを祈っている」と後輩にエールを送った。

堅実な遊撃の守備とつなぐ打撃でチームをけん引した

鈴木崇監督は「品行もチームの模範で、後輩たちに『長坂』という主将の形をしっかり残してくれた。1人ひとりに声をかけ、みんなをまとめる姿勢に長け、私も助けてもらった」と労った。

卒業後は仙台六大学野球連盟の仙台大に進学し、硬式野球を続ける。仙台大は昨秋のリーグ戦で2位となった強豪で、ドラフト会議では2選手が育成指名を受けた。長坂は「体育学部で構成され、指導者につながる。同じリーグに東北福祉大があり、そこを倒そうと素晴らしい野球をしている」と印象を話す。

将来については「自分たちのように甲子園を目指す選手に少しでもいい影響を与えられる存在になれれば。指導者を目指して頑張りたい」と夢を語り、「野球は『投げる、捕る、打つ』…いろいろな要素のあるスポーツ。勝つために何をしたらいいのかを自分自身、日本文理に来て学ぶことが多かった。もっと早い段階で基礎を作って上げられれば、新潟県の野球がレベルアップできる」と将来的には新潟県に戻り、高校野球も含め、小中学生の指導者も視野に入れながら大学生活を送る予定だ。

記念盾を手に、進学が決まった仙台大での活躍を誓った

(取材・撮影・文/岡田浩人)

【BCL】内藤が今季主将に 新潟アルビレックスBC

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ルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCは14日、入団2年目となる内藤晃裕内野手(23歳・大阪体育大出身)が今季の主将を務めると発表した。

兵庫県出身の内藤は球団を通してコメントを発表。「野球人生でキャプテンを務めるのは初めてだが、新潟アルビレックスBCというチームでキャプテンができることをとても光栄に思う」と心境を明かした上で、「清水章夫監督がよく口にされる『野球を楽しめ』という言葉を大切に、とことん楽しんで真剣に野球に取り組み、その中でチーム全員が『独立リーグ日本一』という目標に強い気持ちを持ち、一戦一戦全力で戦う」と意気込みを示した。

2020年シーズンの主将に決まった内藤晃裕

2020年シーズンのBCリーグは3月14日から全体練習(キャンプ)が始まり、4月11日に開幕する予定。新潟は2年目の清水章夫監督のもと、5年ぶりのリーグ優勝、8年ぶりの独立リーグ日本一を目指す。

(写真・文/岡田浩人)

【お知らせ】第1回新潟野球サロン 武山カメラマンによるカメラ講座開催

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新潟野球ドットコムでは今シーズンの主催イベントとして「新潟野球サロン」を開催します。野球をより楽しむため、そしてより深く知るため、野球の魅力を様々な形で「発見」「再発見」できるような講座やトークイベントを不定期で開催していきます。

第1回は長岡市出身のフリーカメラマン・武山智史さんをお招きし、『もっとうまく、もっと楽しく野球を撮影するためのカメラ講座』を開催します。野球シーズン到来に備え、撮影がうまくなる「ワンポイント」をプロカメラマンが教えます。

講師の長岡市出身のフリーカメラマン・武山智史さん

[講座名]もっとうまく、もっと楽しく野球を撮影するためのカメラ講座
[主 催]新潟野球ドットコム
[日 時]2020年2月23日(日)18:30~20:30
[場 所]ハードオフ・エコスタジアム新潟 3階ラウンジ(新潟市中央区)
受講料]2000円(税込)

[主な対象球場でカメラ撮影をしてみたい初心者の方、子どもが野球を始めたのでうまく撮影してみたい保護者の方、高校野球に興味があり球場で撮影してみたい方、もっとうまく野球を撮影してみたい方、など受講者のレベルに合わせます。カメラがある方はご持参ください。カメラを持っていない方でも受講できます。

[お申し込み]件名に「カメラ講座受講希望」と記入の上、本文に①お名前②参加人数③メールアドレス、を記入し、info@niigatayakyu.com までメールにてお申し込みください。後程、新潟野球ドットコムより返信メールを送ります。募集人数は約20名で先着順となります。お問い合わせも上記メールアドレスよりお願いします。

武山カメラマンは「受講者の皆さんが新しい野球の撮り方を発見できるきっかけになれば」と話しています

(文/岡田浩人)

【野球場】野村氏の650号記念ボールを寄贈、鳥屋野球場で展示へ 新潟市在住の丸田さん

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2月11日に亡くなった野村克也氏(享年84歳)は1979年5月27日、新潟市の鳥屋野球場で650号本塁打を放った。そのボールを左翼席で手にし、野村氏から記念のサインボールとサイン入り帽子を受け取った男性がいる。新潟市在住の丸田徹さん(52歳)で、当時小学6年生の野球少年だった。41年前、野村氏から直接サインをもらった丸田さんは「オーラがあった。少年野球で捕手をしていると話したら、喜んでくれて『頑張れ』と励ましてもらった」と思い出を語る。突然の訃報を受け、丸田さんは長年大切に保管してきた記念のサインボールと帽子を新潟市に寄贈することを決めた。新潟市は鳥屋野球場に展示する予定で、丸田さんは「650号が達成された球場で多くのファンに見てもらい、野村さんの偉業を知ってもらいたい」と話している。

野村氏の650号記念サインボールとサイン入り帽子を前に思い出を語る丸田徹さん

野村氏は現役時代、王貞治氏に次ぐ歴代2位となる通算657本塁打を放った。その最後の“節目”となる650号を放ったのが1979年5月27日、鳥屋野球場で行われた南海ホークス対西武ライオンズの公式戦だった。西武の七番・捕手として先発出場した野村氏は4回表、左翼席に先制のソロ本塁打を叩き込んだ。

父親の英一さんと一緒に球場を訪れ、左翼席にいた丸田さんは「芝生の上でゆったり観戦していたら、目の前でボールがポーンとはねました」と思い起こす。素手でボールをつかんだ瞬間、「場内アナウンスで『650号ホームランです』と放送があった。大勢の人がワーッと覆いかぶさってきてもみくちゃに…父親が自分を守ってくれたのを覚えています」と笑う。その後、西武の球団職員からベンチ裏に来るよう案内された。

「西武の球団控え室に行くと、その日は登板がなかった東尾(修)さんがいらっしゃって相手をしてくれました。少年野球のチームの色に似ていたので当時自分は阪急の帽子を被っていたのですが、東尾さんが被っていた西武の帽子を頭に載せてくれました。5回の整備中だと思うのですが、野村さんがやって来た。ドキドキしました。やはり大物のオーラがありました。少年野球で捕手をしていると話したら喜んでくれて、『よし、頑張れ』と励ましてもらいました。ホームランボールと交換したサインボールに『650号ホームラン』と書いてもらい、帽子にサインをいただきました」

野村氏が「650号」と書いたサインボールを手に 当時小学6年生の丸田さん

その後、中学で卓球を始めた丸田さんは、北越高校時代には個人戦で県優勝を果たし、インターハイの団体戦で全国ベスト8に輝く。

「野球から卓球に種目は変わりましたが、ずっと野村さんに親近感を覚えてきました。著書も買いました。卓球でも戦術やビデオ分析をするなど野村さんに影響を受けました。野村さんは野球だけでなく、スポーツ界全体…スポーツ選手の考える力、弱者が強者に勝つためにどうしたらいいのかを考えた最初の方。日本のスポーツ界を変えた方だと思います」

大学を卒業後、丸田さんは障害者を支える仕事につく。現在は新潟県障害者スポーツ協会の事務局長として、障害者スポーツの普及・振興を図り、東京パラリンピックに向けた県内選手の支援などに汗を流す。

野村氏のサインが入った帽子と記念のボール 近く新潟市に寄贈される

11日に野村氏が急逝。訃報を聞き、「突然のことで驚いた」という丸田さん。「いつか、どこかのタイミングで寄贈したいと考えていた」と、このほど大切に保管していたサイン入りのボールと帽子を新潟市に寄贈することを決めた。

「できれば650号が達成された鳥屋野球場で多くのファンに見てもらい、野村さんの偉業を知ってもらいたい」と話す。ボールと帽子は近く新潟市に寄贈される予定。鳥屋野球場は展示スペースがないが、新潟市スポーツ振興課は「とても貴重な品。丸田さんの意向が実現できるよう、展示を検討したい」としている。

(取材・撮影・文/岡田浩人 写真提供/丸田徹さん)


【NPB】オリックス・漆原大晟が支配下登録 新潟医療福祉大出身

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NPB(日本野球機構)のオリックス・バファローズは20日、燕市出身の育成選手・漆原大晟投手(23歳・新潟明訓高-新潟医療福祉大)を支配下選手登録すると発表した。背番号は「65」。漆原は2018年の育成ドラフト1位でオリックスに入団。1年目の昨季はウエスタン・リーグで1勝0敗で23セーブを挙げ、リーグのセーブ王に輝いた。漆原は球団を通して「1試合でも多く一軍のマウンドに立ち、チームの役に立てるよう頑張りたい」とコメントした。

支配下選手登録を勝ち取ったオリックス・漆原大晟(写真は昨季)

(文/岡田浩人)

大和中が出場予定だった全国大会は中止 県高野連は15日まで練習自粛求める

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新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、国が小学校、中学校、高校などの臨時休校を要請したことを受け、新潟県内の学校や野球関係団体も対応に追われた。

新潟県高野連は28日、新潟県教育庁保健体育課からの「3月15日(日)まで部活動、遠征、合宿、練習試合等の実施を中止・延期」するよう求める通知を受けた。それに基づいて同日、各加盟校に適切に対応するよう文書で求めた。

中学の軟式野球部をはじめとした部活動については、各市町村の教育委員会の判断によるが、部活動の指導者によると、各地域とも概ね「春休み前までの活動自粛」という対応になっているという。

その中で、昨秋の県中学生新人野球大会(オンヨネカップ)で初優勝した南魚沼市立大和中学校の出場が決まっていた「第11回全日本少年春季軟式野球大会」は28日に開催中止が決定した。全国56校が参加し、3月21日から静岡県で開幕予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け大会自体が中止となった。

大和中の佐藤亮介監督は「子どもたちの活躍の場がなくなってしまい残念」と肩を落とした。28日午前に主催者から連絡を受けた。選手たちには放課後に伝えたが、涙を流す選手もいたという。佐藤監督は「秋に県大会で優勝した事実は変わらない。そのことを自信にして、夏に全国の舞台に出場できるよう頑張ろう」と選手を励ましたという。

中学硬式野球のリトルシニア新潟ブロックは28日、県内各チームに対し3月15日まで練習、遠征、練習試合等の活動を自粛するよう求めた。 昨秋の信越大会で優勝した新潟西シニアが出場を決めている「第26回全国選抜野球大会」(3月25日、大阪府で開幕)について、日本リトルシニア中学硬式野球協会は開会式の「中止」を決定したが、大会の実施可否については28日時点では「検討中」としている。

また中学硬式のヤングリーグに所属する新潟ヤングは27日の段階で、練習を含む当面の活動休止を決めていたが、28日に全日本少年硬式野球連盟からの通達を受け、春休み終了まで活動を休止することを決めた。

高校女子硬式野球の全国大会「第21回全国高校女子硬式野球選抜大会」は28日に大会の中止が決まった。埼玉県で3月27日に開幕し、全国30チームが参加。新潟県からは開志学園が出場予定だった。

(取材・文/岡田浩人)

【2020春…新たなスタート①】甲子園で本塁打放った星兼太さん「いつか地元に貢献を」 

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野球を通して、学んだことがある。その思いを胸に、この春、新たなスタートを切る新潟の<野球人>を3人紹介する。

1人目は日本文理高校OBで、今春東洋大を卒業した星兼太さん(22歳・見附市出身)。高校時代は2年夏の甲子園で本塁打を放つなど、全国ベスト4進出に貢献する活躍を見せた。しかし東都の名門・東洋大に進学後は、試行錯誤の末に「自分の打撃を見失ってしまった」。リーグ戦出場は5試合にとどまった。野球からの引退を決意し、4月からは埼玉県にある一般企業に就職する。星さんは「野球を通していい思いも悔しい思いもし、たくさんの仲間に巡り合うことができた」と振り返り、「いつか地元の野球界に貢献できれば」と前を向く。

東洋大を卒業した星兼太さん 2月には地元・見附市でのイベントに姿を見せた
(撮影/武山智史)

その表情は晴れやかだった。

東洋大での4年間を終え、2月に地元・見附市に帰省した。

「野球をやってきてよかったです」

久々に会う星さんは、現役時代には見せなかった柔和な目で、はっきり言った。


日本文理高校では1年からレギュラーに 思い切りのいい打撃で活躍した

星さんの球歴は華やかだ。

中学時代は硬式野球チームの長岡東シニアの主力打者として活躍し、全日本代表に選出された。日本文理高校では入学直後の練習試合で3打席連続本塁打をマークし、大井道夫監督(当時)の度肝を抜いた。1年秋の神宮大会決勝では先頭打者本塁打を叩き込み、2年夏の甲子園では1回戦の大分戦で後にプロ入りする佐野皓大投手(オリックス)から勝ち越し本塁打を放った。3年夏は甲子園出場を逃したものの、新潟大会準決勝(新潟戦)では8回に試合を決める本塁打を放った。

修行僧のような鋭い目。とことん自分を追い込む練習姿が印象的だった。

そして、初球から思い切りよく振り抜く打撃で印象に残る本塁打を量産した。「新潟県史上、最強の打者」…星さんをそう評価する新潟の野球関係者は多い。

「プロを目指したい」。4年前、そう言って故郷を後にした。大学野球の名門・東洋大学の門を叩いた。

入学後、すぐに一軍であるAチームに抜てきされた。

しかし、なかなか練習試合で結果を残すことができなかった。

「実は高校3年生の時にあまり打てなかったと、自分の中で思っていました。その分、自信を持って大学に入学したわけではなかったのです。入学後にAチームのメンバーには入れてもらうことができましたが、公式戦に出場する機会はなかった。ただ、その時に悔しい気持ちを持ってスタートしたことで、練習も自主練習もずっと真剣に取り組むことができました」

高校時代は簡単に打つことができたヒットが出ない。自分の打撃を追求しようと、インターネットの動画サイトなどでも研究を続けたが、調子は上向いてこなかった。

「今の時代は特に動画などでいろいろな打撃理論が世に溢れていますが、自分で消化しきれませんでした。試行錯誤をしすぎて、“自分の形”というものがどんどん分からなくなっていきました。いろいろ試し過ぎたのがよくなかったのだと思います。自分にプレッシャーをかけ過ぎた部分もありました」

リーグ戦には5試合に出場。「ヒットは1本だけ打ったのは憶えています」。高校時代の活躍を知る人たちからは「星はどうしているのか?」と言われた。「期待をしてもらっていた分、自分自身もやるせない気持ち…全く結果が出せなかったのが悔しくて情けない気持ちでした」と唇を噛む。


大学時代の星さん 打撃に悩んだ末、試行錯誤を繰り返した

それでも、腐らなかった。4年間、厳しい大学野球をやり通した。その原動力は何だったのか。

「一番は…家族です。ずっと応援してくれていましたから。それから小中高校とお世話になった指導者の皆さんの存在です。そういう人たちの応援が、新潟を離れた後、うまくいかなくて悩んでいた時期でも、『もう一度活躍したい』という思いにつながりました」

最終学年の4年生として迎えた去年春。

星さんは「就職を考える時期になり、このリーグ戦で選手として一区切りつけよう」と決意して臨んだ。

「最後まで自分にできるだけのことをしようと練習をして臨みました。出場機会はなかったのですが、自分の中ではやれることはやった。中途半端な気持ちではなく、うまく区切りをつけることができました」

子どもの頃からのプロ入りの目標は叶わなかったが、自分が辿ってきた野球の道に後悔はなかった。

その後、就職活動の結果、埼玉県にある一般企業から内定をもらった。今は仕事を通して社会に貢献したいと考えている。

そして、新潟県の高校野球の後輩たち、大学野球を目指す後輩たちにエールを送る。

「未来は決まっていません。やればやった分だけ自分に返ってくる可能性があります。自分がやらなければ、後に続く人たちの次の道も開けてこない。日本文理の後輩たち、新潟の野球の後輩たちの活躍を見るとうれしい。自分は野球を通して、いろいろないい思いも、悔しい思いもしてきました、もし機会があるならば、そういうものを少しでも伝えられたらなと思います」

2月24日、見附市で行われた女子野球のイベント会場に姿を見せた星さんは、楽しそうに野球をする子どもたちの姿を見て、こう言った。

「10年以上、野球をやってきた中で、苦しいこともありましたが、野球をやってきてよかったなという思いです。野球のおかげでたくさんの仲間や人たち巡り合うことができました。今、野球人口が減少している中で、こうやって野球が好きでやっている子どもたちの可能性、未来を潰さないよう、好きなことをできる環境を整えられることができたらと思います。自分は埼玉で就職しますが、いつか地元の野球界に貢献できればと思っています」

(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/武山智史 撮影/嶋田健一)

【2020春…新たなスタート②】現場を離れる甲子園2度出場の指揮官 鈴木春樹さん

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野球を通して、学んだことがある。その思いを胸に、この春、新たなスタートを切る新潟の<野球人>を3人紹介する。

2人目は柏崎高校、新潟県央工業高校の野球部監督として春夏計2度の甲子園出場を果たし、母校・長岡大手高校で6年間、野球部監督を務めてきた鈴木春樹さん(49歳)。4月から野球部のない八海高校で教頭となり、高校野球の現場から離れる。「打倒私立」を掲げ、闘志をむき出しにして強豪に立ち向かっていった指揮官は、いま何を思い、高校野球界にどんな言葉を残すのか。

4月から教頭となり、高校野球の現場を離れることが決まった鈴木春樹さん(長岡大手高校のグラウンドで)

なぜ、現場の指導者から「教頭」に?

3月24日に新潟県の教職員人事が発表された時、長岡大手高校の監督・鈴木春樹さんの異動に多くの高校野球関係者、OB、ファンが驚いた。まずはその疑問を率直に本人にぶつけた。

「自分の回りに素晴らしい管理職の先生がいらっしゃって、自分もそういう管理職になりたいと思ったのが第一の理由です。もうひとつの理由は、ずっと野球部の生徒たちには野球が『終わった後』のことを伝えてきました。『自分から野球を取った時に、何も残らない人間ではいけない』と。『野球を頑張ったように、勉強もしなければいけないし、野球を卒業した時に野球で頑張ったことを他の分野でいかすんだぞ』とずっと指導してきました。母校で6年間、監督をやらせていただき、私の年齢も次の誕生日が来て50歳になります。そこで、私から野球を取った時に何が残るんだということを、教え子たちに示さずに教員生活を終わってしまうことはどうなのだろうと考えました。生徒たちに『野球とは関係ない場所でも、鈴木は野球のように情熱を注いでやれるんだということを見せたい』と思ったことがきっかけです」

迷いはあった・・・そう率直に話してくれた。

このまま現場の監督を続けるのか、現場を離れて管理職を志すのか・・・気持ちが揺れ動いたのは去年のことだったという。シード校として迎えた夏は初戦(2回戦)で上越に2対3で惜敗。秋はベスト16に進出したものの4回戦で村上桜ヶ丘に1対5で敗れた。

敵将の言葉を聞いたのは、その直後だった。

「秋の最後の相手(村上桜ヶ丘)が松田(忍)監督だったのですが、試合が終わった後に『どうしたんだ?』と。『春樹らしい闘争心が感じられなかった』と仰るんです。長年戦ってきて私の変化を感じられたようでした。『ああ、やっぱり分かる人には分かるんだな』と思いました。決して野球に対する情熱がなくなった訳ではありません。しかし自分が違うステージに立とうかどうかと考えている気持ちが、対戦相手に感じられた・・・その時点では、まだ春以降にどうなるか分からなかったのですが、私の胸のうちは第一線で戦ってきた人にとっては一目瞭然の変化だったのでしょう」


「打倒私立」を掲げ、強豪相手に闘志むき出しで立ち向かった(2018年夏)

鈴木さんは、中越高校を率いて7度の夏の甲子園出場を果たした名将・鈴木春祥氏の長男として育った。長岡大手高校、順天堂大で野球を続け、1995年に新潟県の教員として採用された。佐渡・羽茂高校では新任の1年間を陸上部顧問として過ごし、2年目から野球部監督を務めた。以来、柏崎高校、新潟県央工業高校、母校・長岡大手高校の4校で野球部の指導にあたった。

柏崎では2003年春に21世紀枠として選抜甲子園に出場。新潟県央工では2008年夏に甲子園出場を果たした。「打倒私立」を掲げ、強豪相手に闘志むき出しで戦い、「公立の雄」を育てていった。

「柏崎の時に21世紀枠で甲子園に出場したことは、その後の指導に大きな影響を与えました。甲子園に出たい、と思っていましたが、いざ出場が決まると物凄いプレッシャーでした。それでも決められた『3月22日』に試合をしなければならない。どんな展開でも9回まで試合をしなければいけない。しかも、当時の新潟県は唯一のセンバツ未勝利県。前の年に北朝鮮から帰国された蓮池薫さんの母校ということもあり、いろいろと注目されました。そこでパーフェクトノック、パーフェクトバント、という練習を考えました。全員が成功するまでは練習が終わらない。力が足りないチームでしたが、甲子園出場が決まった以上はやるしかない。甲子園で受けるプレッシャーというものがどれくらいのものかわからない中で、生徒たちにプレッシャーをかけられるだけ、かけ続けました。試合は斑鳩(奈良)に1対2で負けたのですが、自分たちの野球ができたという思いがありました。生徒には厳しいかもしれないけど、求めたらどうにかなるんだなという経験をしました」

新潟県央工の監督として迎えた2008年夏。準決勝で日本文理高校に勝利し、決勝では初出場を懸けた佐渡高校に延長戦の末に競り勝ち、甲子園出場を決めた。

「印象に残っている試合は、やはり佐渡高校との決勝での激闘。延長戦の苦しい試合でした。もうひとつ、2016年夏の3回戦での村上桜ヶ丘高校との試合も印象に残っています。3点差を追う9回に4点を取ってサヨナラ勝ち。死闘でした」

その2つの試合はどちらも、試合後に見せた鈴木さんの涙が印象的だった。

「勝って報道陣の前で泣いたのはその2回でしたね(笑)。どちらも自分の想像を超えるところで生徒たちが野球をやっていました」


2016年夏、3点差を追う9回に逆転サヨナラ勝ちを決めた選手たちを称え、思わず涙を見せた

23年間の監督生活。指導者としてキャリアを重ねる上で、辿り着いた「野球道」がある。

これほど責任が明確になるスポーツって他にないですよね。野球は投手が打たれれば投手の責任になり、『エラー』をしたら誰かに必ず『E』の記録がつきます。父が2度目に甲子園に出場した時、広島商業に敗れました。その縁で何度か広島に行って勉強させていただきました。その当時、広島商業の投手だった沖元茂雄さん・・・その後広島工業の監督として甲子園に出場して、今は高陽東の監督されています・・・その沖元さんのネットワークで当時の広島商業の野球を研究しました。そこで皆さんが『最後は自分のエラーで負けるんだ』と口々に言うんです。ピンチでマウンドに集まった時に投手には『頑張れ』と言い、野手同士では『負けるんだったらエラーにしたろうな』と言い合っている。投手が打たれて負けるのではなく、球にくらいついて、エラーにしてでも自分たち野手のせいで負けるようにしよう、と当時の広島商業の選手たちは話していたことを聞きました。その考え方に共感しました。トーナメントは1チームを除いてどこかで必ず負けるわけです。野球をやる以上は、そういうギリギリの場面にさらされるわけです。最終的にその場面に出くわした時に、ボールから逃げるのではなく、自分のエラーになる覚悟でボールに飛び込んでいく…そういう野球をずっと目指してきました」

この間、野球を取り巻く環境は大きく変わった。野球人口の減少、指導のあり方、教師の世界にも“働き方改革”の波は押し寄せている。時代は変化している。

「でも」と鈴木さんは言う。

「でも、野球の勝負の厳しさは変わりません。だからこそ、野球が終わった後も、その力が活きるんだと思います。確かに『楽しく野球をやろう』『エンジョイ・ベースボール』という考え方はあるかもしれません。野球は楽しい…ホームランを打って勝つ、というところから始まっていいと思います。しかし小学生のチームであろうとプロ野球のチームであろうと、野球というスポーツの<勝負>の場面には必ず、逃げることのできない、厳しい場面があるんです。それを乗り越えて、本当の友情、本当の感謝の気持ち、本当の喜びがあると思います。そこに人間的な成長を感じられる、素晴らしいスポーツだと思います」


厳しい場面を想定した練習を繰り返した(2015年)

監督として、追いかけてきた背中があった。父親の鈴木春祥監督。そして、そのライバルとして新潟県でしのぎを削ってきた名将たち・・・。

「私にとっては(長岡商業の監督だった)黒田(貞一)先生(故人)の存在があります。黒田先生に挑んでいったウチの父親がいて、世代交代して、そこに日本文理と新潟明訓が取って代わりました。2校目の柏崎に着任した時、新潟明訓との練習試合が組まれていました。0対38くらいのスコアで負けた記憶があります。佐藤和也監督(現・新潟医療福祉大総監督)から洗礼を受けました。そこから始まって、柏崎で4年目の2002年秋の県大会で3位決定戦で新潟明訓と当たりました。延長戦でサヨナラ勝ち(3対2)をしたんです。そこから北信越大会に出場して翌年春の選抜21世紀枠に繋がるんです。佐藤監督には公式戦で2つ勝ちました。日本文理には2008年に春と夏の2回、2016年夏に1回、計3勝ですね。時代の流れの中で、佐藤監督、大井道夫監督(現・総監督)がいなくなったというのも大きいですね。大井さんを相手に県内で最後に勝ったのが私です(笑)。強大な徳川軍に挑んで2度も勝った真田軍の戦いを記した『真田太平記』は私のバイブルでした」


日本文理の大井道夫監督(当時)と試合前に健闘を誓い合う

23年間にわたる公立高校から甲子園を目指す道に一区切りをつけた鈴木さん。教頭として野球部のない学校に赴任する。これから目指すものは、何になるのか。

「野球というフィルターを通して生徒たちに伝えてきたことを、自分なりに工夫をして八海高校の生徒たちに伝え、一生懸命いろいろな分野で活躍をさせてあげたいと思います。私もこれから管理職になっていろいろなプレッシャーがありますが、これまで野球で成長できたと思いますから」

気になる今後の野球との関わり方を聞くと、意外な答えが返ってきた。

「どうですかね・・・今まで土日は遠征だったので・・・まずは学童野球をやっている長男と次男の追っかけですかね(笑)。父親(春祥さん)はがっかりしてるんじゃないですか(笑)。大井さんには教頭になることが決まってから電話をしました。一番電話しづらかったですね、怒られるんじゃないかと思って(笑)。でも『その道に行くなら頑張れよ』って励まされました。ありがたかったです。若い、
特に本気で私学を倒して甲子園に行こうという公立の指導者には、聞かれれば私の経験で役に立つことがあれば答えますよ」

母校を離れるにあたり、ひとつだけ、心残りがあるという。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、2月末から休校となった。離任式もなく、部員たちに直接話す機会がないまま、学校を去らなければならなくなった。

「ミーティングもできなかったので、メールやラインでメッセージを伝えました。夏の大会で長岡大手はベスト4以上に行ったことがありません。何とか夏の大会で力を発揮してほしい。投手も揃っているので期待しています」

監督として目指し、2度、その土を踏んだ<甲子園>・・・そこは鈴木さんにとってどんな場所だったのだろうか。最後に尋ねた。

「人の念というか、気持ちというものが感じられる場所でした。あそこに行くと力以上のものが出る・・・背中を押してくれる『ゴッドハンド(神の手)』が本当にあるんだなとベンチで感じましたね。そういうものを、長岡大手の生徒、そして新潟県の野球部の子どもたちに、感じてほしいと思います」

(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/武山智史)

【高校野球】春季県大会が中止へ 新潟県高野連が4日発表予定

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新潟県高野連は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、4月26日に開幕予定だった「第142回北信越高校野球・新潟県大会(春季県大会)」を中止する方向で最終調整に入った。4日に記者会見し、対応を正式に発表する。1949年に第1回大会が行われて以来、秋を含めて県大会が中止となるのは初めて。

県大会は20日に抽選が行われ、26日に開幕し、優勝と準優勝の2チームが6月6日から長野県で開催される北信越大会に出場予定だった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、2月末の休校から公立高校を中心に多くの学校が練習を自粛していること、大会中の選手と観客の安全確保に課題があること、延期した場合の球場確保が難しいこと、などの理由から、新潟県高野連は県大会自体を中止する方向で最終調整に入った。4日に新潟県高野連の富樫信浩会長が記者会見し、正式に発表する予定。

(取材・文/岡田浩人)

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